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 汗が全身から止めどなく流れ落ちる。心地好い疲労感に包まれながら、美優はサンドバッグを叩いていた。これで三分打ちっぱなしの三セット目になる。
「美優~」
 右隣から自分の名前を呼ばれた。このしゃがれた声は会長の声だ。美優はサンドバッグの揺れを両手で止めて右に振り返った。会長がいつもの無愛想な顔をしながら立っている。
「新しい挑戦をしてみねえか」
「挑戦?」
 美優は目をぱちくりさせる。
「二階級制覇だよ」
「あたしがですか・・・?」
「うちでチャンピオンはお前だけだろ。他に誰がいるんだよ」
「なんかぴんとこなくて」
 美優は右手を後頭部に当てて苦笑いを浮かべた。
「六度も防衛してるんだ。もうちょっとどんとしてろよ、チャンピオンらしくなぁ」
 美優はもう一度苦笑いを浮かべた。視線を逸らしながら、会長の言葉を心の中で口ずさむ。
 どんとね~。
 意識してみたけれど、やっぱりぴんとこない。
 なんかあたし変わらないなあ。会長の言うとおり、世界チャンピオンになって六度も防衛したっていうのに。
「実は挑戦者を探すのが難航しててな・・・。防衛戦全部KO勝利だろ。誰も受けたがらねえんだよ。だから、フライ級は卒業の時期だと思ってな」
「う~ん、でも・・・」
「なんだ、はっきり言いえよ」
「出来たらこの階級で闘い続けたいです」
「なんだ、スーパーフライ級じゃ自信がないのか」
「そうじゃなくて・・・」
 美優は口ごもった。ストレートに言うべきじゃないと思うものの、上手い言葉が思いつかない。
「なんだ?はっきり言ってくんねえとわかんねぇよ」
「いや、その・・・まだ闘いたい相手がいるから」
「あぁ、平瀬か」
 美優はしゃきっと背筋を伸ばす。
「はい、そのみともう一度闘いたくて」
「しかしなぁ・・・平瀬も世界チャンピオンだからなぁ・・・」
 会長が髪の毛をまさぐった。
「まぁいいや。お前の言い分は分かった」
 会長はそう言うと、この場から離れていった。
「あっちょっと・・・」
 美優が止めようとしたものの、聞こえなかったのか遠くに行ってしまった。
 もうちょっと話したかったのに・・・。
 美優は口をすぼめた。それから、ボクシンググローブを外して、白いタオルを手にして、頬に残っている汗を拭いた。
 もう二年になるのか・・・。
 二年前の夏、そのみと世界チャンピオンのベルトをかけて死闘を繰り広げた。試合に勝ってその後も六度の防衛に成功、そのみも九ヶ月前にWBAの世界チャンピオンになった。今ではお互いにチャンピオン。そろそろかなと思ってはいたけれど、会長に対戦したい相手としてそのみの名前を出したことで、そのみとの再戦への思いがぐっと高まった。
 でも、試合をしたくてもあたしは待つ側だ。前回の試合で勝ったのはあたしだ。リターンマッチは勝った側が受けるもの。だから、そのみの方から申し出があるまではずっと待っているつもりだ。
 とはいっても胸がもやっとしている。
 この高まった気持ちどうしようかな・・・。
 目の前にあるサンドバッグを見た。
 これかな・・・と思った。
 でも、それだとさっきまでの続きになる。気分転換になるのかな・・・。
 美優は首をひねりながらもグローブを再びはめてファイティングポーズを取った。右ストレートを叩き込む。サンドバッグが大きく揺れ、重たい音が響く。
 手応えは充分。気分は渋滞。かな・・・。

 翌日。ジムで練習をしていた美優は、三分終了を告げる音が聞こえ、長い休憩を取ることにした。タオルで顔の汗を拭い取ると、目の前にはいかつい会長の顔があった。美優は仰け反り、声を出した。
「あ~びっくりした!」
「悪いな。それより平瀬そのみに試合のオファー出しといたぞ」
「えっ何で出してるの!」
 思わず声が高くなった。
「試合したいんだろ」
 会長は何言ってるんだこいつとでも言いたそうな表情でこちらを見る。
「何でこんな時だけ気をきかせるんだろ、もう~」
 美優は両拳を握って縦に振った。
「それになぁっ、相手から待ってたらいつまでもスーパーフライ級のベルトに挑戦できねぇしな」
 そう言って会長は美優の元から去っていった。このおじさんはいつも相手の返事を聞かずに行ってしまう。
 美優は眉毛を斜めに釣り上げて背中を見続けた。ややあってから、溜め息をつく。
 オファーしちゃったものは仕方ないか。闘いたい気持ちが高まってもいたし、会長の勇み足が結果としては良かったのかもしれない。
 そのみにはフォローしとこう。デリカシーのないことしちゃったって。

 二日後の夜、美優はそのみと出会った。場所はよく二人で訪れる馴染みの公園だ。美優とそのみが揃ってベンチに座った。そのみが美優の顔を見る。彼女は優しい表情で、
「どうしたの会いたいって」
 と言った。
「あのねっ、試合の申し出なんだけど、ゴメンね、あたしの方からになっちゃって」
 美優は少し硬くなりながら言った。言葉にするのに抵抗が出てしまう。たいしたことじゃなくても謝まるのって言いづらいなぁと思った。
「試合の申し出って・・・なんのこと?」
 きょとんとした顔でそのみが聞き返した。
「なにってあたしたちの統一戦のことだよ」
 美優が戸惑いながら言うと、そのみの顔が固まっている。
「もしかして・・・知らなかったの・・・?」
「うん・・・」
 そのみの声は硬かった。
「おかしいなっ、会長ちゃんと伝えたのかな・・・」
 美優は顎を人差し指で掻きながら首を捻った。
「あっ会長ってうちのね・・・」
 美優は両手をせわしなく振りながら否定する。
「そうじゃないよ」
 そのみが神妙な顔で言った。
「うちの会長がわたしに言ってないだけ」
「会長さん、なんで・・・」
「美優と闘わせたくないみたい。負けるリスクが高いってよく言ってたから」
 そのみが目を瞑って言った。美優は目を見開いた。
 闘いたくないって言葉がそのみの口からも出た・・・。
「そのみはどうなの。そのみもあたしが怖い?あたしと闘いたくない!?」
 つい声が大きくなってしまう。そのみは首を横に振った。
「闘いたいよ。今すぐにでも試合したいくらい」
「だったらそのみから言えばいいじゃん」
「言ってるよ!一年前から何度も」
 そのみが珍しく声を荒げた。
「一年前って・・・そのみがチャンピオンになる前から・・・?」
 美優は目を丸くした。
「うん、本当はWBAじゃなくてWBC・・・美優のベルトに挑戦したかった」
 そう言って、そのみは息をついた。
「でも、会長が同じ相手に三度も続けて負けるわけにはいかないって・・・まずはWBAのベルトを取って経験を積もうって言うものだから」
「そうだったんだ・・・」
「がっかりした?美優から逃げて他のベルトに挑戦して」
 そのみが美優の目を見た。
「そんなことない。ぜんぜん逃げじゃないよ。そのみらしくないよ、胸を張りなよ」
 美優の言葉にそのみは応じず視線を外した。
「わたし、会長には言うよ」
 そのみはこっちを見てくれない。
「でも、期待はしないで」
 そのみが立ち上がる。ようやくこちらを見てくれた。でも、その目はどこか哀しげだった。
「ゴメンね美優・・・」
「そのみ・・・」
小説・その花は強くて優しかった | コメント(0)
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