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「あに―いもうと」第3話

2017/04/10 Mon 23:54

 ゴングの音が鳴ると同時に亜衣はダッシュして距離を詰めにいく。直線的に向かっていくが、両足で軽やかにステップを刻む美羽のパンチの射程距離に近づくや腰をかがめ上半身を大きく左斜め下に沈ませた。亜衣の上半身は弧の字を描き起き上がっていく。それから今度は右斜めへと沈んでいった。そして、弧を描きまた上へ。亜衣は横向きにした8の字の軌道を速いスピードで描き続けながら美羽の元へ距離を縮めていく。ここからフックの射程距離に入り、横8の字の軌道を描きながら左右のフックを打ち続ければデンプシーロールの完成だ。
 美羽からはパンチが一向に飛んでこない。安々とフックの射程距離まで近づけた亜衣だったがパンチを打とうとした直前で美羽が左に大きくステップして逃げられた。
 距離が出来て仕切り直しになった二人だが、亜衣はすぐさま再度デンプシーロールを使って距離を詰めに出た。
 ぜんぜんかまわない。技が破られたわけじゃないんだから。
 しかし、今度は美羽も距離を詰めに出て、体がぶつかり合いクリンチで体を捕まれた。
 レフェリーに体を離され、再び見つめ合う亜衣と美羽。美羽はステップを刻み一定の距離を取るだけで一向にパンチを打ってこない。そんな美羽の消極的なファイトに亜衣はイラっときた。
「そのまま逃げてちゃボクシングにならないよ」
 亜衣が挑発したものの、美羽は気にする素振りをみせずに無表情のまま攻めずにいる。
「あっそっ。じゃあこっちからいくから」
 そう言い放ち、亜衣は再びダッシュして向かっていった。
 しかし、亜衣は消極的な戦い方をする美羽を捉えることが出来ないまま1R終了のゴングが鳴った。
 青コーナーに戻った亜衣は、河原さんが用意したスツールの上に腰を乗せた。
「相手、メチャメチャ逃げ腰じゃないですか。びびってんすかねぇ」
 河原さんが呆れたように言う。
「いや、カウンター狙いかもしれないな。序盤のRは捨てて様子見か」
 山川会長が顎に右手を当てて言った。
「えっ、じゃああんまりデンプシーみせない方がいいんじゃないっすか」
 驚き気味に言う河原さんに対して、
「心配ないです。デンプシーロールにカウンターは無意味です。前の試合でそれは証明しましたから」
 亜衣は笑みを浮かべて言った。続けて、
「ですよね会長」
 と言って山川会長に顔を向けた。山川会長は少し考えてから、
「そうだな」
 と頷いた。
「ただ後半のRになると慣れてくるかもしれない。早いRで仕留めないと危ないかもしれないな」
「大丈夫です。相手は逃げ回ってばかりですから早く仕留めてみせます」
「くれぐれも雑に攻めていくなよ」
「はい」
 そう答えると、インターバル終了を告げるブザーが鳴り、亜衣はスツールから立ち上がった。

「美羽、どうだデンプシーロールは?」
 タクロウが青コーナーでスツールに座る美羽の身体についている汗をタオルで拭きながら聞いた。
「大丈夫です。もうタイミングは掴めましたから」
 美羽は表情を変えずに言う。
「そうか、次のRいけそうか?」
 美羽は「はい」と返事して小さく頷いた。
「じゃあ、いけそうならやってみろ。一度でも捕まっちまうと厄介だからなデンプシーは」
「分かりました」
 そう答えて美羽はスツールから立ち上がった。渡されたマウスピースを口にくわえ右手で口元を調整すると、タクロウの方を見た。
「でもいいんですか。妹さん、下手したら再起不能になりますよ」
 美羽は表情一つ変えずに言った。
「仕方ねぇだろ、そうでもしねぇと止められねえ技なんだから」
 タクロウは苦虫を嚙み殺したような表情で言った。
「分かりました」
 美羽は感情のみえない声でそう言うと、第2R開始のゴングの音と同時にコーナーを出ていった。

 亜衣がデンプシーロールの練習をするようになったのは、山川ジムに移籍してからだった。デンプシーロールはタクロウが得意としていた技だった。タクロウがこの技でKOを量産する姿に亜衣は魅了された。タクロウがトレーナーになってからは教えて欲しいと何度もお願いしたけれど、その度にはっきりと断られた。この技は使えねぇの一点張りだった。
 でも、ジムを移籍してタクロウから止められることがなくなり、亜衣は必死になってデンプシーロールを練習した。美羽に勝つにはこの技しかないと思った。そして、練習を始めてから一年が経ち、亜衣はデンプシーロールを使えるようになった。
 試合で使ってみると、対戦相手は全く対応出来ずにたった30秒でKO勝ち出来た。あまりの威力に人生でこの時ほど興奮した覚えは他にない。
 その次の対戦相手は対策を練ってきていた。デンプシーロールにカウンターパンチを合わせてきたのだ。でも、パンチが当たったのは亜衣の方だった。その一発で対戦相手はキャンバスに倒れ、カウント内に立ち上がることはなかった。
 山川会長の説明曰く、デンプシーロールの振り子の動きが大きくて相手の死角に移るからカウンターを当てるのは難しいとのことだった。
 つまりはデンプシーロールに死角はないということだ。少なくとも前半のRのうちにカウンターを当てようとするのは無謀な行為。相手が美羽だからって変わることはない。
 このRも距離を取って一向に攻めてこない美羽に対し、亜衣は睨めっこを止めて一気に前へ出た。
 少なくとも序盤にカウンターは打ってこない。デンプシーロールにカウンターを合わせづらいのは美羽だって分かってるはずだ。だから早いうちに倒さなきゃ。
 ダッシュして向かう亜衣は、上半身を軽く揺らし続けながらその場に立つ美羽の異変に気付いた。両腕を上げてファイティングポーズを取る美羽の身体から透明な繭の糸のようなものが無数に上がっていくのが見えたのだ。それは闘志とでも言うべきものなのだろうか。亜衣はボクシングのリングの上で初めて闘う者が放つオーラを感じ取り、身体が硬直していくのを感じた。
 大丈夫だからと亜衣は自分に言い聞かす。デンプシーロールに移行した時、硬直は取れていて周囲の音が聞えなくなる感覚に陥った。恐怖を乗り越えて得た研ぎ澄まされた状態。そして、亜衣は美羽が逃げないことを予感した。その通りに美羽が亜衣のデンプシーロールに応じていく。亜衣の左フックに対して美羽が右のパンチを打ち放つ。
 あたしの勝ちだ。
 亜衣がそう確信した次の瞬間、凄まじい打撃音が鳴り響いた。
 醜くひしゃげた顔面、そして対戦相手の胸元を赤く染め上げる大量の鼻血。あまりの鮮烈な光景に場内が静まり返る。
 悲鳴を上げたのは、亜衣の顔面だった。亜衣の両腕がだらりと下がる。もう戦況が理解出来ていないのか、その顔は頬も口元も弛緩してだらしのない笑みを浮かべていた。マウスピースを吐き出すと、両腕を下げたまま気持ち良さそうな表情で後ろに崩れ落ちていく。一方の美羽は、壊れたように無防備にキャンバスに沈み落ちていく亜衣の姿を赤く染まった右の青いグローブをゆっくりと引きながら見つめていた。
小説・あに―いもうと | コメント(0)
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