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「Seven pieces」

第30話~最終話
 第30話
 
 和葉は目を覚ました。意識がはっきりするにつれ、泣きたい気持ちに陥っていく。
 わたしは負けたんだ。
 マウスピースを失い、顔にもお腹にも顔を歪めたいほどの痛みが残っている。
 目の前では、少女たちがリングの上で試合をしている。鈍い打撃音、うめき声が耳に入ってくる。まるで、地獄絵図のような光景。
 和葉は、膝の上に顔をうずめた。
 ずっとこのままでいたかった。
 試合なんてもうしたくない。
 このまま、このままずっと・・・。
 わたしなんか別にこの世にいなくたっていいんだ・・・
 父親に捨てられ、亜莉栖にも裏切られ・・
 明日香ちゃんは・・
 彼女の顔がぱっと頭の中で広がり、和葉は顔を上げた。
 周りを見渡しても、明日香の姿はない。
 もしかして、明日香ちゃんはもう失格しちゃった?
 そんなの嫌だ。
 明日香ちゃんまであたしの前からいなくなるなんて。
 和葉は立ち上がる。
 何をしていいか分からないまま、左へ向かおうとした。
「どこいくの?和葉ちゃん」
 和葉はあわてて後ろを振り向く。
 そこには、明日香の姿があった。
「明日香ちゃん、いたんだ・・」
 和葉の顔からは涙が零れ落ちる。
 どれだけの時間、涙を流しただろう。
 明日香は、和葉の顔を胸元に引き寄せ、背中にそっと手を当てた。
 むせび泣く和葉に、明日香が言った。
「和葉ちゃん、いっしょにがんばろうね」
「うん」
 和葉は、顔を離し、むせながらも頷いた。
「身体は大丈夫?」
「体中痛いけど、まだ闘えると思う」
「よかった」
と明日香は笑顔を浮かべ、続けて言った。
「あたし、さっき試合に勝ったからマウスピース2個に増えたよ」
「すごい、明日香ちゃん。試合勝ったんだ」
「和葉ちゃんのおかげだよ、和葉ちゃんがマウスピースをくれたから」
「明日香ちゃんがいなくなるなんて嫌だったから」
「マウスピース増やせたから、これ1つ返すね」
「ううん、これは明日香ちゃんが大事にもっといて。明日香ちゃんにあげたものだし、いっしょにゲームを勝ち抜くんでしょ。だったら2人も2つずつの方がいいもん」
「ありがとう、和葉ちゃん」
「ゲームはあと、何時間?」
 大切なことをはっと思いだして、和葉は聞いた。
「残りは40分」
「それだけしかないんだ」
「あと2試合はしないといけないよね」
「うん」
「時間がないから、早く試合しなきゃ」
「でも、あと一度負けたら・・・時間的におしまいだよね」
「できるだけ弱い相手かぁ」
 いるのかな・・
 周りを見渡したものの、どれもわたしよりは強そうだと、和葉は思った。
 電光掲示板に目がいき、表示されている残りのマウスピースの数に違和感を覚えた。
「ねえ・・明日香ちゃん・・・おかしくない?残り12人いるのに残りのマウスピースは50個もあるよ・・1人、4つ以上持ってるって変じゃない?」


第31話
「あたし、さっき、トイレで女の子たちの会話を耳にしたんだけど・・」
 明日香は言葉を止めて、様子をうかがうように和葉の目を見つめる。また続けた。
「主催者側がものすごく強い選手を送り込んでるらしいって・・」
「どういうことなの?」
「このゲームで勝ちぬける女の子の数をできるだけ減らしたいからって格闘技経験者を送り込んでる。勝ちぬくのが目的じゃないから7つ集めてもどんどん試合をして、女の子からマウスピースを取ってるんだって。だから、マウスピースはその子たちがいっぱい持ってるんだと思う」
 主催者側が送り込んだ“刺客”。
 そんな子と闘ったらかなうはずがない。
 和葉は気持ちがまた沈み始めた。
「その刺客とだけは、闘わないようにしないといけないね・・」
 和葉は、力ない声で言った。
「でも、誰が刺客かはわからないからなぁ、運でもういっちゃおうよ、和葉ちゃん」
 と明日香は言うものの、和葉は「うん」とどうしても言えなかった。
 刺客と当たるのは、ゲームオーバーを意味するんだ。それなのに、運に任せちゃっていいの。
 和葉は、もう一度電光掲示板を見た。
 残りの時間は、38分。
 時間はない。どうせ、分からないなら、一刻も早く試合をした方がいいと考える明日香の言い分もわかる。
 けど・・
 そんな強い子いるなんてずるい・・。
 今さらながらそう感じた。
 強い・・。
 和葉は目を大きく見開いた。
 「あ・・明日香ちゃん・・顔だよ。顔を見ればわかるよ」
 「あっそうか。ものすごく強そうな顔をしてる子が刺客だよね」
 「そうじゃなくて・・強いなら、パンチもあまり受けてないと思うから、顔も綺麗なままでしょ。顔が綺麗な子を避けたらいいんだよ。それに、顔が腫れてるならダメージを受けているんだから、勝てる確率が増えるよ。うん、顔が腫れてる子にしようよ」
 「和葉ちゃん、頭いい。うん、それにしようよ」
 自分で言ったからというのもあって、目の前がぱっと明るくなった気がした。
 和葉は周りを改めて見渡した。
 この中で、一番と二番に顔が腫れている子は・・・
 いた。
 右奥端にいるロングヘアの子とその20メートル隣にいるショートカットの子だ。ともに、顔が気持ち悪いくらい紫色に変色している。どれだけパンチを打たれたら、あんな色になるんだろう。
 「明日香ちゃん、あの子たちはどう?」
 「あ~、ひどい顔してるね。うん、あの子たちにしようよ」
 意見は一致した。あとは、声をかけに行くだけ。
 でも・・・
 和葉は行こうと言いだせなかった。
 それがなぜなのかは、和葉自身もわからない。
 元々が優柔不断な性格だからなのか、夏希に負けたのをひきずっているのか、それとも、刺客じゃないと予測したものの、自信がなくなってきたのか。
 ともかく、あと一歩が重いのだ。
 「じゃあ、あたしは右端のショートの子に声かけてくるね」
 思い悩む和葉をよそに明日香はもう勝負する気でいる。それで覚悟を決められた。
 「わかった、わたしは、ロングの子にする」
 歩きはじめる明日香の後に続いた。
 明日香ちゃんがいなかったら、ずっと悩んでいたかもしれない。
 やっぱり、明日香はわたしには欠かせない友達だ。
 「明日香ちゃん・・」
 「どうしたの?」
 明日香が後ろを振り向く。
 「ううん、なんでもない」
 「へんなの」
 明日香ちゃんだけは、わたしを裏切らないよね。
 そんな言葉を出せるはずがなかった。
 当たり前すぎて。
 それでも、確認したくなってしまうのは、この場所があまりにも非情な場だからなんだと、和葉は思いながら、明日香の後をついていった。


第32話
 
 右端で座り込むロングヘアの子に、和葉は見下ろしながら声をかけた。
 「マウスピースの数は残り何個ですか?」
 「まずは、あなたの方から言うのが礼儀じゃない?」
 「ああっそうでしたね、すみません」
 思いもしなかった指摘に、和葉は動揺した。
 「わたしは二個です」
 「奇遇ね、あたしも同じ数よ」
 「じゃあ、二つ賭けて試合をしませんか。時間も少なくなってきてますし」
 「いいけど」
 と言って、彼女は立ち上がった。
 先ほどとは逆転して、ロングの子が和葉を見下ろす。
 それで初めて彼女の身長が高いのだと気付いた。身長170センチはありそうだ。
 黒く長い髪、切れ長の目、ほっそりとした顎、そして、高い身長。強そうなオーラが彼女から伝わってくる。
 まさか、刺客じゃないよね・・・。だって、あんなに顔が腫れてるんだもん。
 嫌な予感が膨らんでいく中、和葉はリングへ向かった。
 リングに上がり、ボクシンググローブをはめて、試合中央で対峙する。対戦相手である一条あゆみ。背筋をぴんと伸ばし、ボクシンググローブがとてもよく似合う彼女を目の前で見て、強いのではないかという思いが和葉の中でますます強くなっていく。
 ううんと和葉は首を横に振った。
 そんなことない。見かけ倒しだよ。じゃないと顔があんなに腫れないもん。
 試合開始のゴングが鳴った。 
 和葉はゆっくりとコーナーを出た。一条あゆみも静かに前に出る。まだパンチは当たらない距離。そう確認しながら、和葉は慎重に距離を詰めていく。
 まだ大丈夫、と思った瞬間、和葉の顔面が弾かれた。一条あゆみの左ジャブだ。
 何が起きたのかよくわからなかった。
 痛みだけがひりひりと鼻から伝わる。
 まだパンチが当たる距離じゃない。
 だけど・・
 前に行くのを躊躇する和葉の顔が、今度は三度弾かれた。左ジャブの三連打。
 さらに、右ストレートが和葉の顔面を打ち抜く。吹き飛ばされた和葉は、コーナーポストに後頭部がぶつかり、そのままずずずっと下がり尻もちをついた。
 ダウンが宣告され、カウントが数えられる中、いまだ、和葉は何が起きたのか、状況を理解できないでいた。
 カウント8で和葉は立ち上がる。
 試合が再開され、前に出るも、2メートルの距離になったところで、一条あゆみが前に出ると、後ろへ下がった。
 怯えてしまっているのだ。
 2メートル。当たるはずがない距離だ。それでも、パンチが当たってしまうんじゃないだろうかという恐怖。
 堂々と、ゆっくりと距離を詰めに出る一条ゆかりに対し、逃げ回る和葉。しかし、それも10秒ももたなかった。コーナーに追い詰められたのだ。
 蛇に睨まれた蛙のように、和葉は動けなかった。
 グシャァァッ!!
 一条あゆみの右ストレートが一閃。狙い澄ましたかのように放たれたその一撃は、和葉の顔面をコーナーポストとで串刺しにしていた。
 両腕がだらりと下がり、拳と顔面の間から血がぽたぽたと垂れ落ちていく。一条あゆみが右拳を引くと、和葉は大木が伐採されたかのように、無防備なまま前へ崩れ落ちた。
 カウントは不要。誰もが瞬時に見て分かるダウンだった。
 それでも、カウントは数えられていく。


第33話
 
 和葉は、ロープに両腕をかけ、立ち上がった。カウントは9ぎりぎりだった。
 和葉の体はふらついてるものの、レフェリーはかまわず試合を再開させた。
和葉は体をコーナーポストにかけ、両腕で顔を守る。
一条あゆみが、ガードの上からおかまいなしに連打を浴びせる。
 2、3発とパンチが入り、和葉は彼女に抱きついて、ダウンをこらえる。
 レフェリーが2人の体を離したところで、ゴングが鳴った。
 一条あゆみの顔を見て、和葉は息を止めた。
 汗ばむ一条あゆみの顔から紫色の液体が垂れている。
 一条あゆみが、グローブで顔を拭いた。グローブを見て、彼女は「汗で落ちてきたか」とぽつりと言った。
 グローブで拭いた顔の箇所は、もう紫色ではなく、肌色だった。綺麗で健康的な色なのだ。
 その場にしゃがみ込んだあたしの頭の中はますます混乱していった。
 彼女はなんなの?
 そして、インターバルが終わろうとしたころ、一つの仮説がようやく出来上がった。
 ゴングが鳴り、和葉はコーナーを出た。
 対峙する一条あゆみに、聞いた。
「あなたが、主催者側が送り込んだ刺客なのね」
 一条あゆみは表情を変えない。
「そう。わたしは、主催者に頼まれて出たの」
「その顔の色は、メイクをしてたのね」
「そう、それも主催者から頼まれたの。試合を終えるごとにメイクで痣を作れって。こんな小細工好きじゃないけど、あなたみたいにほいほい釣られるのを見てるのは楽しかったから、悪くもなかったけどね」
わたしが、余計な知恵を出してしまったから・・・
馬鹿だ、わたしって・・・。
「ぶへぇぇっ!!」
 隣のリングから聞こえてきた奇声。明日香ちゃんの声だった。隣のリングでは、明日香が対戦相手のサンドバッグになっていた。明日香の相手も刺客だったのだと、和葉は悟った。
 ごめん、明日香ちゃん。余計なこと言っちゃって・・・。
 もう希望はない。
 わたしたちのゲームはこれでおしまいだ。
 一条あゆみは、グローブで顔を拭き、痣一つない綺麗な顔を和葉の前に見せた。
「わたしの本当のマウスピースの数は14個。あなたを倒せば15個のノルマを達成するの。最後の相手だから、本気でいかせてもらうよ」
 一条あゆみが、左腕を下げ、肘から先を水平にした。
 和葉は知らなかった。一条あゆみの構えが、あの伝説の世界チャンピオンであるモハド・アリが使っていたデトロイドスタイルだということを。
 和葉は知らなかった。デトロイドスタイルの恐ろしさを。
「リング上で踊りな」 
 一条あゆみの腕から下から鞭のようにパンチが放たれ、和葉の顔面を弾き飛ばした。弧を描くような変則的な軌道は、素人の目に終えるものではなかった。さらに、パンチの威力もオーソドックスな左ジャブも数段増していた。
 一条あゆみのジャブが、和葉の顔面を次々と吹き飛ばす。言葉どおり、和葉は、一条あゆみのパンチで、リング上を踊らされた。汗飛沫、血飛沫を撒き散らしながら。
 右のパンチも出せばとうに和葉をノックアウト出来ただろう。しかし、一条あゆみは、左のジャブだけしか打たなかった。これまで封印していたスタイルをとことん楽しむかのごとく。
 3R中盤になると、和葉の顔面は紫色に変色していた。試合する前に一条あゆみの顔を見て、言い表した「気持ち悪い」その顔に、和葉本人が変わり果てたのだ。


第34話
 
 頃合いと見たのか飽きたのか、一条あゆみが、目が宙をさまよい涎をたらし突っ立ったままの和葉の顔面に右ストレートを突き刺した。
 和葉が降参したかのように両腕を上げて、後ろに倒れ落ちた。
 両腕がバンザイの形をし、キャンバスにひれ伏す。
 もはや、和葉には立つ気力さえも残っていなかった。
 刺客とだけは闘わない。
 それがゲームを勝ち抜く最低限の条件だった。
 その条件が崩れてしまってはもうどうにもならない。
 「和葉ちゃん立って!あたしと一緒に勝ち抜くって約束したじゃない!」
 明日香の声だった。
 声がした方に顔だけを向ける。
 ロープから顔を出して、明日香ちゃんが叫んでいる。
 試合中だっていうのに。
 レフェリーが注意する。それでも、明日香はやめなかった。
 「和葉ちゃん立って!あたしも頑張るから!勝つから!和葉ちゃんも勝って!」
 ありがとう、明日香ちゃん・・わたしも頑張るよ!
 和葉は体中の力をふりしぼり、カウント9で立ち上がった。
 「うぁぁぁ」
 大声を叫び、一条あゆみに向かっていく。体勢が低く、タックルのように。
 一条あゆみがジャブを放つものの、額にあたり、弾かれる。
 和葉の右拳が一条あゆみのお腹にめり込んだ。和葉はそれでも前に行くのを止めない。右拳を当てたまま、一条あゆみの体を押し込んでいく。
 一条あゆみの体が、コーナーポストにぶつかった。その衝撃で垂直に伸びた体は、次の瞬間には、くの字に折れ曲がった。和葉の拳が鳩尾あたりにめり込んでいるのだ。
 「ぶへぇぇっ!!」
 一条あゆみがマウスピースを吐き出し、顔面からキャンバスに沈み落ちた。顔をキャンバスに埋め、尻が天井に突き出ている。
 一条あゆみの口からは唾液が広がり、キャンバスを滑らす。しかし、本人はまったく動かず、リングに倒れ伏したままだった。
 そのまま、カウント10が数えられ、和葉の勝利が宣告された。



第35話
 
 レフェリーから、マウスピースを受け取ると、急いで明日香のリングへ向かった。そのリングでは、明日香がガッツポーズをしていた。
「明日香ちゃん!」
 和葉の声に気付いた明日香がリングから降りる。 
「勝ったの!?」
「うん、勝った!大逆転勝利!和葉ちゃんは?」
「あたしも勝てた。大逆転勝利」
「やったね。これであと1試合勝てばいいんだよ」
「そうだね、あと1試合」
と言った瞬間、和葉はその場で倒れ落ちた。
「和葉ちゃん!」
 和葉の耳元で明日香が叫ぶ。
「大丈夫・・・」
「休もう。横になって」
「うん・・でも、もう時間が・・」
「だって今のままじゃ試合できないよ」
「わたしはもういいから、明日香ちゃんだけでも試合をしにいって」
「ねぇ、みんな聞いて!」
 その声は夏希だった。
「もう残ってる時間はあと25分を切ったよ。無駄な時間を費やしてる時じゃない。今、ここで試合をしたい人だけ集まって、対戦相手を決めようよ。試合する気がある子だけ、集まろうよ」
 夏希の声に呼応するように、ポニーテールの髪型をした子とショートカットの子2人だけが夏希の元に寄った。
「その提案にのった」
 とポニーテール子は言った。
「ねえ、あたしたちも行こう」
 明日香の言葉に和葉は頷いた。
明日香の肩を借りて、和葉も寄っていった。
「ありがとう明日香ちゃん」
「お互い様でしょ和葉ちゃん」
「闘う気があるのは、この5人だけね」
 周りを見たら、会場にはそのほかに3人の子がいた。その中には、亜莉栖の姿もある。
「ほかの子は試合しないのかな・・」
「もう諦めてるんじゃない。殴られるのが嫌になったのか、怪我をして諦めたのか、マウスピースの数が全然足りてないのか。まあ、やる気のない人なんてどうでもいいよ」
 と夏希が冷たく言った。
「マウスピースを賭ける数が合わないと試合をしても意味ないから、先に数を言おうよ」
 夏希が言った。
「そうだね」
 と、ポニーテールの子が同調した。
「あたしは、5個」
 と夏希。
「あたしは、4個」
 とポニーテールの子。
「わたしも4個」
 とショートカットの子。
「あたしは4個」
 と明日香。
「わたしも4個」
 と和葉。
「どうやって、対戦相手を決める?というか、あたし、この子と試合したいんだけど」
ポニーテールの子がそう言って指差したのは、和葉だった。
「みんな、考えていることは同じだね。あたしも和葉」
 夏希が言った。
 「待って、わたしも和葉って子がいい」
ショートカットの子も名乗りを上げる。
「和葉が対戦相手を指名したら、1試合決定じゃない。それでいいでしょ、和葉」
 と言って、夏希があたしの方を見た。
 彼女の顔を見て、和葉の中である思いが生じた。
 夏希がみんなを集めた理由。それは、この中で一番弱っている、しかも一度勝っているわたしと試合をしたかったからなのではないか。許せない人間が目の前で挑戦を表明しているのに逃げ出すはずがないだろうという計算があって。一人で申し込みにいってはダメなのだ。隣にいる明日香が挑戦を受けようとする可能性があるから。
 そんな夏希の思惑を感じ取り、和葉の中で彼女への復讐の闘志が再び燃え盛る。
 反則をしたり、人を裏切らせたりと、冷酷なことを平気でする夏希が許せない。たとえ、この申し出に乗るのが、彼女の思惑通りだとしても許せないのだ。
 和葉は、夏希を指名しようと決めた。
 その時だった。
「あたしも和葉ちゃんと試合したい」
 聞き間違えだと思った。
 でも、彼女の右手は、上がっていたのだ。
 嘘でしょと言いたかった。
 ねえ、明日香ちゃん・・・嘘だって言ってよ。


第36話
 
 明日香の右手が上がっていた。瞬きを何度してもその光景は変わらなかった。
「なんで、明日香ちゃん・・いっしょに勝ち抜こうっていったじゃない」
「あたしだって、楽して勝ちたい。和葉ちゃんなら絶対勝てる。なんで今まで気づかなかったんだろう。こんなに楽して勝てる相手が近くにいるの」
「何言ってるの、明日香ちゃん。いっしょに勝とうって、さっきの試合応援してくれたじゃない。あれは何だったのよ!」
「だって、和葉ちゃんが負けたら・・困るもん。和葉ちゃん、またマウスピースくれるかもしれないから。だから、和葉ちゃんは大切な人だったよ。でも、もういい。和葉ちゃんに勝てばもう必要ないし」
「嘘でしょ、嘘って言ってよ明日香ちゃん・・」
「今までが嘘だったんだよ。今が本当のあたしなんだ。和葉ちゃんのこと、嫌いだったし。頭よさそうな態度ムカついたし、ノート汚したくらいでいつまでも腹立てるくらい心が狭いし。友達のフリしてただけなんだから」
「もういい、そんなにわたしが嫌いなら、試合するよ、明日香ちゃんと」
 勝ち抜くとか、もうどうでもよくなった。
 勝ってなんの意味があるの?
 平気でうそをつく人ばかりの世の中を生きて、何が楽しいの?
 つらいことばかりじゃない。
 でも、平気で人を裏切る人だけは許せない。夏希よりもよっぽど明日香ちゃんの方がひどいよ。明日香ちゃんに勝ったらこの先はどうなってもいい。
 そう思い、和葉はリングに立った。
 試合開始のゴングが鳴り響く。
 和葉は、足元がおぼつかない中、明日香の元へ駆けていった。
 右ストレートを明日香の顔面にぶち込むと、左右の拳を振り回した。明日香の顔をめった打ちした。
 わたしを裏切った人・・。
 許せない、明日香をわたしは絶対許せない。
 どれだけの数、明日香の顔面を殴っただろう。
 和葉は一方的に明日香を殴り続け、気がつくと、明日香はキャンバスに沈んでいた。
 レフェリーがカウントを数える。
 明日香は顔をキャンバスに埋め、立ち上がってこない。
 そのまま明日香は立ち上がらず、拍子抜けするくらい、あっけなく試合は終わった。
 レフェリーが和葉の腕を上げる。
 その時だった。
「八百長だよ、その試合!」
 そう、リング下から言ったのは、夏希だった。



第37話
 
 夏希がリングに上がった。試合をする気だった少女は5人。一人だけ試合からあぶれる子ができる。それが夏希だった。
「和葉、何もしないし文句も言わないから、あたしの顔面を思いっきり殴って」
「なんで?」
「別に罠なんてない。あたしは真実を知りたいだけ。良いじゃない、あたしを殴りたいって思ってたんでしょ」
「わかった」
 そう言って、和葉は無防備な夏希の顔面に右のパンチを入れた。
 夏希の頭は少しも動かず、けろっとしていた。
「やっぱりね。和葉のパンチにはもう力はない。人をKOできる力なんてない。明日香がわざと倒れたんだよ。八百長だから、この試合は不成立じゃないとおかしい」
 レフェリーがうつ伏せで倒れたままの明日香の元へ近寄る。頭をぱしぱし叩くが反応はない。強引に立たせ、右手で力強く頬をひっぱたいた。
 それで、明日香の目がぱちりとあく。
「あれぇ、どうしたの?」
 あまりにも、大げさで不自然なふるまいだった。
「わざと負けたな」
 レフェリーがそう問い詰めるも、明日香は「何がですか」ととぼける。
「まあいい。レフェリーの権限で今の試合は、無効にする。再試合だ。次もわざと負けたら、立花和葉も失格にする」
 そう言われ、明日香は下を向きながら、コーナーへ戻っていった。
「八百長ってどういうことなの明日香ちゃん?」
 明日香は背を向けたまま、黙っている。
「和葉の今の状態じゃ、誰にも勝てないでしょ。だから、自ら対戦相手に名乗り出た。わざと負けるために。大方、そんなとこでしょ」
 リングを降りた夏希が下から和葉に向かって言った。
 試合再開のゴングが鳴る。
「ねぇ、明日香ちゃん・・そうなの?わたしのためにわざと負けようとしたの?」
 まだ下を向く明日香の顔からぽろぽろと涙がこぼれ落ちていく。
「ごめん、和葉ちゃん。和葉ちゃんだけでも、勝ち抜けしてもらおうと思ったんだけど、こんなことになっちゃって。馬鹿だねあたしって・・ホントに馬鹿だよ。もうあたしどうしていいかわからない」
 和葉の頬も涙がつたう。
「いいの・・・明日香ちゃん・・いい。ごめん、明日香ちゃんのこと、うたぐったわたしがいけないんだ。馬鹿なのはわたしの方だよ、明日香ちゃんを信じられなくなって、勝負受けちゃって」
 そのまま二人は泣いていた。
「闘うんだ、二人とも。失格になりたいのか」
 レフェリーが見合ったままの二人をけしかける。
「明日香ちゃん、闘おう。正々堂々と闘おう」
「ごめんね、和葉ちゃん・・」
 和葉が先に手を出した。右ストレートが顔面に当たるも、明日香は微動だにしない。これが今のわたしのの本当のパンチ力なんだと悟る和葉を下からパンチが襲う。
 明日香の右アッパーカットが和葉の顎を打ち上げた。
 グシャァッ!!
 和葉は血反吐を吐き上げながら、半回転して、キャンバスに倒れ落ちた。
 今のわたしが、明日香ちゃんに勝てるわけがない。
 でも、力が残っているかぎり______
 わたしは闘うんだ。
 和葉は立ち上がり、明日香の元へ向かう。
 もはや亀のように鈍足。
 明日香はその場で立ち尽くしていた。
 和葉がまた、右ストレートを放つ。和葉の右ストレートのスピードはさらに落ちていた。明日香の顔面に当たるも、なでたという表現が的確なほど力を失っていた。 
 明日香の右、左、右。
 和葉の頭がピンポン玉のように軽く弾け飛んでいく。
 和葉が顔から鼻血、唾液を撒き散らしていく。ついには、瞼が異常までに腫れあがり、完全に両目を塞げてしまった。
 和葉は意識がほとんど失いかけていた。その方がむしろ良かったのかもしれない。暗闇という恐怖に怯えずにすみ。そんな状況でも、和葉は無意識に歯を食いしばり、顔面を襲うダメージに耐えようとしていた。もう勝てる見込みなどというのに健気にも。
だが、明日香の右ストレートが襲ったのは、顔面ではなかった。無意識すら及ばなくなっていたところへ。
 明日香の右拳が、和葉の緩みきったお腹に深々とめり込む。
 ドボォォッ!!
 くの字に曲がる体、一方で顎は天を向く。
 光を失い、あいた口からは、だらしなくぽたぽたと唾液がこぼれ落ちる。
 その姿は、思考を失った肉塊。
 壊れた和葉がそこにはあった。
 ボディブローが残り少なかった和葉の体力を根こそぎ奪い取ったのだ。
「もう殴れないよぉぉ・・」
 明日香が戦意を喪失したかのように両腕を下げた。目からは涙がこぼれ、顔をくしゃくしゃにしている。
 表情を失った和葉の顔に変化が現れた。
 上唇が盛り上がり、マウスピースが顔をのぞかす。
「ぶおぉぉっ!!」
 口からマウスピースが唾液の糸を引きながら飛び出て、続いて和葉も前のめりに崩れ落ちた。
 キャンバスに倒れ伏した和葉は、そのまま体を痙攣させた。
 形式だけのカウントがとられ、10を数えると、明日香が真っ先に駆け寄り、和葉の名前を何度も叫んだ。
 和葉からは反応がない。失神しているのは間違いなかった。もしかしたら、失神ではすんでいないのかもしれないという思いがよぎる。
「いやぁぁ!!」
 明日香の泣き叫ぶ声が響き渡る。



第38話
 
 明日香は尻もちをついて、目を瞑り泣いた。嗚咽を漏らし、大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。
 もう何も見たくなかった。何も聞きたくなかった。
 これが夢であってほしい。悪い夢で早く覚めてほしい。
 そう願う。
でも、夢であるはずがない。本当はわかっている。
 目を開ければそこには、倒れている和葉がいるのだ。
 あたしの手で倒してしまった彼女の姿が。
 明日香は再び目をあける。
 一瞬見ればもう十分だった。それ以上は見ていられない。
 明日香は下を向いて、キャンバスに目線を向けた。いや、そのキャンバスも視線に入っていない。何も捉えてないのだ。虚ろな目が宙をさまよっている。
「落ち込むのはわかるけどさ、あたしの話を聞いてほしいんだけど」
リング下から聞こえてきたのは夏希の声。
明日香は力なく振り向いた。
「あたし、試合避けられちゃったから今、マウスピース5個しかないんだ。あたしと試合しようよ」
「何言ってるの。あたしはもう7個あるんだから、あんたと試合するわけないでしょ」
「やっぱり、君も自分のことしか考えてないんだね。じゃあ、和葉はこのまま脱落していいんだ。和葉の分までマウスピースを手に入れるチャンスなのに」
「だって、5個じゃ足りないでしょ」
「そうでもないよ。亜莉栖がマウスピースを貸してくれるから、あたしはこの試合7つ賭けられる。どう?7つと7つ賭けて、最後に勝負しようよ」
 和葉ちゃんと一緒にゲーム抜け出せる。その希望が明日香を突き動かした。
「わかった、和葉ちゃんが助かるなら、あんたの提案だって乗ってあげる!」


第39話
 
 リングに夏希が上がってきた。
 レフェリーは、2人をコーナーに一度向かわせる。明日香を青コーナー、夏希を赤コーナーに。
夏希がグローブをはめる。マウスピースを口にくわえ、すでに試合の準備ができている明日香は、部屋の隅に寝かされている和葉の姿を見た。
 待っててね、和葉ちゃん。和葉ちゃんの分のマウスピースを手にしてくるから。
 レフェリーに中央に呼び出される。 
「マウスピースをかける数はお互い7つ。いいな」
 明日香と夏希は黙って頷いた。
 久しぶりに間近で見る夏希の顔。顎を引き、上目気味にこちらを見ている。口元が真横に引き締まっていて、真剣な表情。
 前もそうだったと思い出した。必死な表情でこっちを見ていると、その時は思った。そのあと試合で何をされるのかも知らず。
 あたしが勝っていた試合。でも、目に指を入れられる反則をされて、負けたのだ。
 卑怯な人。勝つためなら何でもする女。
 許せない。彼女にだけは負けられない。
 コーナーに戻り、明日香は目をつぶる。
 和葉ちゃんのためにも勝つ。
 大丈夫、実力ならあたしの方が上なんだから。反則に気をつけていれば勝てるよ。
 試合開始のゴングが鳴る。
 明日香はコーナーを勢いよく飛び出た。
 先手必勝。
 一気に試合を決めるんだ。
 ダッシュして右ストレート。
 夏希は、横に大きくステップして避ける。
 さらに、追いかける。
 もう一度ストレート。
 後ろに下がった夏希。
 ロープだ。
 チャンス。
 明日香のパンチが今度は当たった。
 ガードの上からだけど、かまわずパンチを出し続けた。
 亀のようにガードを固める中、何発かパンチがヒットする。
 それでも、夏希はガードしたままだ。
 当たれ、当たれ。
 硬い感触と肉が潰れる感触が拳に伝わってくる。
 何発かに一度の割合で肉が潰れる感触が。
 両腕を高く上げて顔を隠す夏希。
 効いてる? どうなの?
 夏希へのダメージが気になる中、明日香はパンチを出し続ける。
 右ストレートをガードの上から当て、夏希のガードを吹き飛ばした。
 夏希のガードは下がったまま。
 いける。
 今度は、左のストレート。
 目の前から明日香が消え、パンチは虚しくロープの外に出た。前のめりになる体を両手でロープを掴み止める。
 あわてて、振り向いた。
 右のパンチのモーションに移行している夏希の姿。
 気がついた時には遅かった。
 次の瞬間には、夏希の右ストレートが明日香の顔面にめり込んだ。
夏希がパンチを打ち抜くと、明日香の体が弓なりに後ろにしなる。ロープがてことなり、明日香の体がよりいっそう反り返り、肩から頭がリングの外に飛び出る。夏希のパンチによって生み出された力の反動のされるがままに、前のめりに崩れ落ちていく。両腕がだらりと下がり、目は何も捉えてない。明日香がグロッギーになっているのは、誰の目にも明らかだった。しかもたった1発のパンチで。何十発とパンチを放っても果たせなかった明日香に対し、1発で決定的なダメージを打ち込んだ夏希。思考を失った明日香以外の者は、このシーンを見て感じ取っていた。明日香よりも夏希の方が格段に強いと。どこまで計算されているのか分からない、底が見えない夏希のボクシング。勝敗はすでに読めたも同然だった。だが、夏希は、これで満足していなかった。
 夏希が、明日香の体を受け止めた。両腕で体を押しやる。ロープを再び背にする明日香に、夏希は、左右のパンチを当てていく。大ぶりにパンチを振り回その様は、先ほどの明日香の姿そのものだ。しかし、決定的に違うのは、明日香のパンチがほとんどクリーンヒットしなかったのに対し、夏希のパンチは、全弾が当たっている。
 大ぶりのパンチで体ごと吹き飛ばされる明日香。すでに、立っていることもままならないダメージを受けていた明日香は、力で無理やり踊らされている人形のようであった。強引に動かされる人形は壊れる運命にある。夏希が右のアッパーカットで、顎を突き上げると、明日香はマウスピースを吹き上げた次の瞬間、マリオネットの糸が切れたようにその場に前のめりに崩れ落ちた。まずは両膝をつき、頭が無防備な状態でキャンバスに落ちた。
 夏希が右手を高々と上げた。観客などいないのに。試合が終わったのだという確信を得たガッツポーズ。そう感じさせる夏希の姿がリングの上にあった。


第40話
 
 意識が朦朧とした中で、レフェリーのカウントを数える声に明日香は反応した。
 すぐ右側にあったロープに右手をかける。続いて左手。体重をのせた反動を使って、少しずつ体を置きあがらせる。
 ロープに背中を預けながらも立ち上がった。カウントは8。ファイティングポーズはとったものの、体はロープに預けたまま。自力で立てていなくても試合再開に問題はなかった。レフェリーがボックスと言ってファイトを促す。
 夏希が一気に出てきた。パンチのラッシュが降りかかる。明日香は両腕でガードを固めラッシュをしのぐ。
 反撃どころじゃなかった。立っているだけで精一杯だ。
 形勢は完全に逆転していた。ラッシュをかけていたのに、1分もしないうちに防戦一方に。それなら、あたしも反撃に転じられるんじゃないの。夏希だってそのうち体力が切れる。そこを突くんだ。
 そう心がけ、明日香は、必死になって耐える。
 自分の意識よりも、先に夏希のスタミナが切れるのだと願い。
 バシィッ!!バシィッ!!
 左右のフックが明日香の顔面を往復する。
 バシィッ!!バシィッ!!
 今度は、左ボディからの右フック。
 単発だったクリーンヒットが、連打になっていく。
 隙を突くどころじゃなかった。
 がくがくと揺れる膝に力を入れてなんとか持ちこたえる。
 明日香はさらに両腕を高くあげ、ガードを強固にした。ボディを打たれたってかまわない。でも、もう頭はやばい。これ以上食らったら耐えられないかも。
すると、パンチが止んだ。
 恐る恐るガードの隙間から夏希を見る。
 夏希の左腕が伸びてきて、明日香の首根っこを掴んだ。
 明日香の顔色が青ざめる。
 夏希にKOされた時の光景が瞬時に思い出されたのだ。
 首が固定されて逃げられない恐怖。今再び蘇る。
「これでおしまいだね」
 クールに言ってのけた夏希が大ぶりの右フックを放った。
 首根っこを掴まれたまま、明日香は前に出た。
 ガキィィッ!!
 鈍い音が鳴り響く。
 夏希の顔面に明日香の頭が当たったのだ。
 夏希が背中を丸め、左手で左目を抑える。
 その隙を突こうとしたところで、レフェリーが明日香を止めた。
 「バッティング。故意の反則だ。次やったら反則負けにするぞ。わかったな」
 反則?
 夏希だって散々やったのにあたしだけ注意されるの?
 夏希をひいきしてるんじゃないかと、不満が広がる。
 一方で、罪悪感も生じていた。あたしも故意に反則したんだと思うと、とても悪い気がして。
 左手を放した夏希の顔は、左瞼がぽこっとたんこぶになっていて、左目を完全に塞いでいた。
 顔の異常な変形が、とても痛々しかった。
 でも、悪いだなんて思ってたらダメだ。
 カーン!
 第1R終了のゴングが鳴った。
 明日香は青コーナーに戻り、キャンバスに尻をつけた。目をつぶり、体力の回復に努める。
 別にあたしは悪くない。
 反則したってかまわない。
 和葉ちゃんを助けるためだもん。


第41話
 
 第2R開始のゴングが鳴った。 
 明日香は右に周り、大ぶりのフックを放った。
 ズドォォッ!!
 明日香のパンチが初めてクリーンヒット。
 右に周ってパンチを出し、またも夏希の顔面を捉えた。
 右に周ったら、夏希はパンチが見えていないんだ。そう確信した瞬間、明日香は思いきり攻めに出た。
 右からパンチの連打。夏希が反撃に出たら、また右に周ってパンチを打つ。
 パンチは面白いように当たった。これまでの苦戦が嘘のように。
 バシィッ!!バシィッ!!バシィッ!!
 左のボディから3連打につながる。
 さらに、右のフックを打ち抜き、夏希の体を吹き飛ばす。コーナーポストに背中がぶつかった夏希に向かって、明日香が前に出たところで、夏希は抱きついてきた。
 明日香の胸元に夏希の顔がうずまっている。
 距離を離したくて、夏希の顔に左手を押しあてる。明日香の左手が夏希の顔を押しやる。必死になって抵抗する夏希に、明日香もがむしゃらに左手に力を入れる。力の押し合いの末に、明日香の左手が夏希の顎を掴み、顔を胸元からひきはがした。そのまま、左腕で押して、夏希の後頭部をコーナーポストに打ち付ける。
 夏希の頭が、明日香の左手で顎を抑えられ、ロックされる形になった。
 明日香の体がそこで止まった。
 顔を左手で固定する。KOされた逆パターン。意識したわけではないのだ。偶然にも、そうなっただけなのだ。
 このゲームでは反則でとられない。でも、左手で顔を抑えて殴るという行為に抵抗を覚える。残酷で暴力的な行為だよ。こんなのボクシングじゃない。いいの、それで相手を倒して?
 ううん、夏希だってやってるんだ。あたしだって。
 明日香は右の大ぶりのフックを放った。
 夏希も右のパンチを打って出た。
 当たったのは、夏希のパンチだった。振りがコンパクトな分、夏希のパンチが先に当たったのだ。しかし、顔を固定されて打ったパンチに力はない。だが、明日香は尋常じゃない痛がりを見せた。
 「うあぁぁっ!!」
 左手で顔を抑えて、片膝をついた。
 明日香は顔をしかめて、左目を抑える。
またやられた。目を指で突かれたのだ。
レフェリーがダウンをと言いカウントを取り始めた。
 「目を突かれたの!反則だよ、レフェリー!ちゃんと反則をとってよ!!」
 明日香が膝をついたまま、抗議するものの、カウントは止まらない。
 明日香は立ち上がり、試合が再開される。
 左目に痛みは残るけど、視界に影響はなかった。
 許せない気持ちが感情を支配する明日香だが、その気持ちを前面に出しきれなかった。また、サミングをもらったらという不安が、明日香に距離を取らせた。
 右に周ってまたパンチを出すものの、夏希にガードされ、パンチをもらう。
 明日香のボクシングはちぐはぐになっていた。一つ一つの動きが遅い。だから、パンチを出しても避けられるし、逆にパンチを簡単にもらう。
 夏希が足を止めて、連打を入れ込む。
「反則はレフェリーに見えないようにやるもんだよ。反則するようになったからって差がなくなったわけじゃない。一度注意されてる明日香と注意されていないあたしじゃ、立場は全然違う」
 「うるさい!!」
 感情が爆発した明日香は右ストレートを出した。だが、目の前から的は消えていた。パンチは空を切る。
 身を屈めていた夏希が体を伸ばし、右のアッパーカットを打ち放つ。
 グワシャァァッ!!
「ぶへぇぇっ!!」
 鞭のようにしなった右腕が明日香の体を宙に浮かせた。吹き上がるマウスピースと共に、明日香はキャンバスに倒れ落ちた。


第42話
 
 ロープに両腕を絡ませ、よじのぼるようにして明日香は立ち上がる。カウントは9。 
 夏希が勢いよく駆けてきた。
 ここでゴングが鳴る。
 ゴングに救われたものの、明日香の表情に力はなかった。
 反則なんてしたくないし、されたくもない。でも、反則しないでされてばかりじゃ夏希に敵わない。だからって、反則しても夏希の方が1枚も2枚も上だ。
 あたし、どうすればいいんだろう・・
 もう何をすればいいのかよくわからない。
 あっという間にインタバールが終了し、第3R開始のゴングが打ち鳴らされた。
 明日香は瞬く間にラッシュを浴びる。
 右フックを空振りした夏希が体を密着させる。パンチを出せる間合じゃない。でも、太ももに衝撃が広がる。夏希が膝を突きたてていた。
 ダメージはたいしたことないものの、苛立ちが募る。
明日香は両手で夏希の体を離した。
 距離を詰めて攻撃に転じたかったものの、夏希の方が動きが早かった。先手を取られた明日香はまたしても防戦一方になる。ガードでラッシュをしのぐ。
 明日香が顔をしかめ「ぐぁっ」と痛みを声に出す。
 痛みは足元からきた。夏希に足を踏まれたのだ。偶然か故意か考えるのも馬鹿らしかった。
 しかし、足を踏まれたことで、明日香のガードは確実に緩んだ。
 夏希のフックが明日香の顔面を往復する。
 バシィッ!!バシィッ!!
「がはぁっ!!」
 明日香の口から鮮血が飛び出る。さらに夏希のパンチが明日香の顔面をとらえる。
 明日香がサンドバッグになった。
 明日香の顔が右に左にふられる。
 こんなのボクシングじゃないよ・・
 反則ばっかして!
 夏希の右フックがうなりをあげる。とっさに明日香は左腕でブロックし、右フックを一閃。夏希の体を吹き飛ばすほどの会心の一発となった。
 夏希が口をぽつんとあけ、目を見開いていた。固まった表情の夏希に向かって明日香は言った。
「反則したければすればいいじゃない!あたしは、正々堂々とボクシングであんたをやっつけるんだから!」


第43話
 
 明日香がダッシュして距離を詰め、パンチを打つ
 夏希もパンチを出す。
 グワシャッ!!
 夏希の右ストレートが明日香の顔面に突き刺さった。しかし、明日香の左フックも夏希の頬にぶち込まれている。
 クロスカウンターの相打ちだ。
「ぶほぉぉっ!!」
夏希の醜く歪む口からマウスピースが吐き出された。後ろに1歩、2歩と後ずさる。顔面にめり込んでいた拳が引き離された明日香も、その瞬間、詮が抜かれたようにマウスピースと唾液を吐き散らした。
「ぶふぅっ!!」
 夏希とは反対に、明日香は前に体勢を崩した。
 意図せずして距離が縮まった、2人はまた同時にパンチを放つ。2人とも口をあけ、むきになった表情で思いきり力強く。
 お互いの意地と意地が込められたパンチ。その一撃は、明日香だけが顔面にぶち込まれた。
 グワシャァッ!!
 夏希の右ストレートが明日香の顔面を潰す。明日香の右ストレートは、虚しくも夏希の頬の横をそれていた。
 痛恨の一撃だった。勝負に出たパンチをかわされ、逆に渾身のパンチを浴びたのだ。カウンターとなったその一撃は、明日香の顔面を破壊した。
 ひしゃげた顔面から尋常じゃない量の血が噴き上がる。ふらふらと泥酔者のごとく後退していく明日香は、鼻から口から血をキャンバスに撒き散らし、顔からキャンバスに沈んだ。
「何が正々堂々よ!弱いのにえらそうなこと言わないでよ!!」
 夏希がキャンバスに倒れ伏している明日香に向かって言った。息を荒げ興奮しきっていた。
「どうしたの、らしくないよ」
 ニュートラルコーナーに移動した夏希にリングの外から亜莉栖が言った。
「別に・・いいじゃない。もう終わりなんだし」
 亜莉栖は黙り、夏希はコーナーポストに体を向けて、カウントを耳にする。
「まだ・・終わってない・・」
 亜莉栖の方を見た。目を見開き、固まっていた。
 夏希は、すぐにリングの方に目をやった。
 「嘘でしょ・・」
 明日香が立ち上がろうとしていた。カウントを数えるレフェリーにしがみつき、そして上体を起こす。
 「信じられない・・」
 カウント9で明日香は立ち上がる。
 試合はまたしても再開された。 
 「試合始まったよ」
 亜莉栖の言葉で、夏希は我に返りようやく前へと出ていった。右ストレートが無防備な明日香の顔面にめり込み、再び明日香は後ろへ吹き飛ぶ。ロープに手を絡ませ、かろうじてダウンを免れた。再び夏希が前に出る。
 「強い・・こんなに強いのに・・なんで反則なんてするの・・」 
 目がとろんとしている明日香の呟きに、夏希の表情が固まった。


第44話
「酷いゲームだけど、せめてうちらは正々堂々と勝負しようよ」
 初めての試合、ゴングが鳴る前に夏希は対戦相手にそう言った。
 彼女はうん、正々堂々と闘おうねと言ってくれた。ちょっと分かりあえた気がしてうれしかった。
 正々堂々。
 それが夏希のモットーだった。ずるをするのが嫌いだった。正しく生きていたい。自分も周りだってそうあるべきなんだ。
だから、クラスの委員長も進んでなった。間違ったことは間違っているとクラスメートに言った。周りから煙たがられようといつか分かってくれると思った。
 でも、この世界では通用しなかった。
 優勢に試合を進めていた夏希は、対戦相手から指で目を突かれる反則を受けた。この反則がもとで形勢が逆転される。
反則をされても、されてもレフェリーは何も注意をしなかった。何度抗議しても受け入れてくれなかった。むしろ、対戦相手に肩入れしているんじゃないかという扱いを受け、スリップダウン中にパンチを追撃されても何も言われなくなった。
間違ったことが認められ、正しい主張が認められない。
 夏希は、最後サンドバッグのように打たれ続け、失神させられた。
 そして、気がつくと、マウスピースは残り1個となっていた。
 この日、夏希は信じるものをすべて失った。
 信念も、自分を育ててくれた両親という存在も。
 
 夏希は首を横に振った。
 「勝てばいいの!勝ちがすべてなの!!」
 そう言って、右ストレートを放つ。大ぶりのパンチだった。明日香も前に出てパンチを放つ。
 ズドォォッ!!!
 ボディブローが夏希にめり込む。
 ズドォッ!!ズドォッ!!
 2発、3発と立て続けにボディブローが決まる。
 明日香のボディブローが止まらない。
 たまらず、夏希が明日香の左足を踏む。
 しかし、明日香のパンチは止まらなかった。
 ドボォォッ!!
 夏希の体がくの字に折れ曲がった。大きくあいた口から唾液がどばぁっと垂れ流れる。
 グワシャァッ!!
 夏希の下がった顎を右のアッパーカットが捉えた。
 夏希の体が逆にエビ反りに折れ、背中からキャンバスに倒れた。

 夏希はかろうじてカウント9で立ち上がる。
 足元はふらついたままだ。明日香も夏希もふらついた足取りで距離を縮め、足を止めて打ち合う。
 夏希の右ストレート!
 明日香が左フックで返す。
 夏希がワン、ツーと左右のストレートを叩きこむ。
 明日香は左ボディから右のボディで応戦する。
 もう、ノーガードの殴り合いだ。
 グシャッ!!
 パンチが相打ちになり、明日香と夏希は肩で息をしながら、相手を見合う。
「いいかげんに倒れてよ!」
 「あたしは和葉ちゃんのために負けられないの!」
「友達のため!?馬鹿じゃない!!自分のためでしょ!!罪悪感から抜け出したいだけなんでしょ!!和葉をKOしたのは君なんだから!!」
 むきになって言い返した夏希の一言で、明日香の表情が固まった。勝気になっていた顔が一転して、目が泳ぎ弱々しく変わっていた。それは闘う者の表情ではなくなっていた。
 グシャァァッ!!
 夏希の右ストレートが明日香の顔面を打ち抜いた。
 明日香から反撃のパンチは出てこない。
 生気を失った顔から「あうっあうっ」と壊れたような奇声が漏れるだけだ。
 夏希が左のフックをボディに突き刺す。明日香の体が力なく、ぐにゃりとくの字に折れ曲がった。両腕はだらりと垂れ下がる。目が宙をさまよい、だらしなく空いた口から血と唾液を撒き散らす明日香は、もはや戦況さえも理解できなくなっていた。それは、左拳で明日香の体を支えている夏希が一番わかっていた。拳を抜けばそのまま倒れていくことも。
だが、夏希が選んだのは、さらなる一撃をぶち込むことだった。夏希の右腕が下から弧を描くように伸び、空を裂く。
 グワシャァッ!!
 夏希の右アッパーカットが、明日香の顔面で爆ぜた。



最終話
 
 あたしは和葉ちゃんをKOした。失神するまで殴り続けた。自分で馬鹿な案を考え、試合して自分だけが生き残った。
 ずっと罪悪感があたしを支配していた。
 ごめんなさい、ごめんなさい和葉ちゃん。
 何のために闘うの・・
 和葉ちゃんのため? 
 それとも自分のため?
 罪悪感を吹き払いたいから?
 「明日香・・お父さんのために売られるんだ」
 父親に裏切られた。捨てられた。あんなに頼っていたのに。
 何を信じればいいっていうの・・
 涙が溢れ出てくる。
 グローブで拭ってもまた瞳に涙が溜まる。涙は頬をつたいキャンバスに落ちた。
 透明なシミが出来上がる。その横には試合の途中で吐き出したマウスピースが落ちてあった。
 和葉ちゃんは、マウスピースを譲ってくれた。大切なものを平気であたしに譲ってくれた。 
 和葉ちゃんはかけがえのない友達。こんな場所に来たからこそ気づけたのかもしれない。 
誰のためだっていい。
かけがえのない友達を失いたくからあたしは闘うんだ。
 仰向けで大の字になって倒れていた明日香がむくっと立ち上がる。
 「なんで・・立ってこれるの・・」
 「言ったでしょ、和葉ちゃんは友達だから。失いたくないの・・」
 「綺麗事なんて聞きたくないの!」
 夏希が向かって行った。その場に立ち尽くしている明日香は一歩も動かない。夏希がラッシュをかけ、明日香はガードを固めた。
 パンチを先に当てたのは、明日香だった。
 連打の間髪を突いて、右フックを顎に当てた。
 1発くらいなんだと、すぐに反撃に出ようとした夏希の膝ががくがく笑う。目が見開き、信じられないといった表情だった。再び口を食いしばってパンチを打つ。大ぶりのパンチ、またも明日香のパンチがヒットした。コンパクトに打った明日香のパンチがカウンターでヒットした。
 今度は腰が落ちた。膝が折れ曲がり、明日香の顔を見上げる。立場が変わっていた。
 敗北の二文字が夏希の頭をよぎる。
「うあぁぁぁっ!!」
 夏希が伸び上がるように右腕を振り上げた。
 右のアッパーカットが、明日香の顎を捉えた。
 グワシャァッ!!
 逆転の一撃がさく裂した。明日香の体が吹き飛んでいく。ロープに当たった明日香の体がロープに振られる。
 夏希が目をぎょっとさせた。
 明日香の右拳が襲いかかってきていたのだ。
「和葉ちゃん!!!!」
 明日香が大声を叫び、右ストレートを放つ。
 グワシャァッ!!
 体重ごと乗っかった明日香の一撃が夏希の頬を打ち抜いた。
 夏希の体が吹き飛ばされ、背中からキャンバスに倒れた。
 明日香も前のめりに倒れこんだ。
「ダブルノックダウン!」
 レフェリーがカウントを開始する。
 うつ伏せになり、両腕をバンザイして倒れこむ明日香。体はぴくりとも動かない。それは、カウントが6を数えても変わらなかった。カウント7、8・・・
 カウントが10を数えられた。
 負けたんだ・・明日香は呆然とした。
「両者ノックアウト!」
 レフェリーの判定を聞いて、明日香は目を丸くした。
「先に立ちあがった方を勝者とする」
 早く、立たなきゃ・・・。
 でも、力がまだ入らない。
「ぐぁぁぁっ」
 夏希の力を振り絞る声が聞こえる。
 まずい、先に立たれるよ・・。
 ここまできたのに、立ちたい、先に立ちたいよ!
「明日香ちゃん・・」
 思いがけない声に反応して明日香は前を見た。そこには和葉が立っていた。
「意識戻ったんだ、和葉ちゃん・・」
 和葉はうんと言ったまま視線をそらす。
 不自然な反応に、明日香は和葉が自分のしたことを許してないんじゃないかと思った。そう思われてもしかたない。それだけのことをしたんだあたしは・・。
「立って、明日香ちゃん!あたしのために闘ってくれて申し訳なくてなんて言っていいかわからなかったけど、やっぱりあたし明日香ちゃんと一緒にいたいよ!」
 明日香はごくりと唾を飲み込んだ。
「あたしもだよ和葉ちゃん」
 明日香が顔を上げる。
「うぁぁぁ!!」
 明日香が気合の言葉を出す。
 和葉がさらに顔を見上げた。歓喜の表情を浮かべて。
 レフェリーが明日香の右腕を上げた。
「勝者、小日向明日香!!」
 リングを降りた明日香は、和葉の元へ歩いた。
 2人はボコボコに腫れあがった顔に笑みを浮かべる。次の瞬間、表情をくしゃくしゃに崩して、涙を溢しながら抱き合った。


―エピローグ―

 校舎を出て、和葉は明日香に聞いた。
「今日は何時に帰れそう?」
「10時くらいかな~。和葉ちゃんは?」
「わたしは11時くらいになると思う」
「じゃああたしの方が早く帰れるね」
「待ってられるならお弁当の残り持って帰るよ」
「ホントっ。じゃあお願いするね和葉ちゃん」
「わかった。何弁当にする?」
「唐揚げ弁当がいい」
「昨日もだったよ。いいの」
「うん、和葉ちゃんのところのお弁当は唐揚げが一番だから」
「じゃあ、お惣菜も持って帰るね。栄養偏るといけないし」
「和葉ちゃん、気が利く~」
 駅に着いて、和葉と明日香は別々の行先の切符を買った。お互い、アルバイト先の最寄り駅までの切符だ。
 二人でアルバイトをしてお金を稼いで二人で一緒の狭い家に住む。それが今の和葉と明日香の生活。
 Seven piecesというゲームに参加させられたその日から日常はがらりと変わった。
 もう親には頼る気はない。自分から家を出て、自分で生活費を稼ぐ。クラスメートたちと比べて、ぜんぜん恵まれていないのかもしれない。
 でも、わたしには大切な友達がいる。それで十分。十分だから。
「じゃああとでね」
 明日香の言葉に和葉は「うん」と頷いて、二人は別々のホームに向かった。

おわり
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