「ときめき10カウント~あの時の約束~」第7話
2017/10/16 Mon 19:40
地鳴りのように鳴り響く歓声が聞こえてくる。天井からライトが集中的に身体を照らす。
両腕が鉛のように重たくて動かなかった。パンチを出したくても出せない。そんな中で由香理のパンチを一方的に浴び続けた。
高野の叫ぶような声。
がんばらなきゃ。がんばって勝って、高野の告白の返事を待つんだ。
重たくて言うことをきかない右拳を握りしめ、なんとか由香理の顔面めがけて放った。
でも、みちるのパンチより先に由香理の右のアッパーカットが突き上げられた。
顎を突き上げられてみちるは血飛沫と共にマウスピースを吐き出して後ろに吹き飛ばされていく。泥酔したようにリングをふらつき血反吐を撒き散らしながらキャンバスに崩れ落ちた。
頬をキャンバスに埋まらせ苦痛に満ちた表情で血反吐を垂らすみちる。そして、由香理が優越感に浸った表情で見下ろしていた。
「終わったのよ何もかも…」
そう言って、微笑する由香理。次の瞬間には、みちるに背を向ける由香理の肩に高野が笑顔で手をかけていた。
「いや~!!」
みちるは大声を出して起き上がった。
周りを見渡すと、そこはベッドの上。
みちるは思い出す。由香理にKO負けされてそのダメージで入院したことを。入院して二日目。幸い身体に異常は見つからなくてダメージも身体に残っていない。明日には退院出来る予定だった。大事にはいたらなくてよかった。でも…。
あたしは何も手に出来なかった。試合に勝つこともチャンピオンベルトを腰に巻くことも高野の告白の返事を受けることも…。
ドアの開く音がした。
「起きてたのか」
と言いながら高野が部屋に入ってきた。
「うん。身体は全然大丈夫だし」
「そっか…良かったよ。みちるが元気で」
高野はそう言って右手に持っていた果物の盛り合わせが入った籠を台の上に置くと、ベッドの隣の椅子に座った。
「高野…ごめんね。心配かけちゃって」
みちるは精一杯の笑顔を高野に向けた。でも、高野は下を向いたままでいる。
「どうしたの高野…?」
「みちる…悪かった…俺が試合をもっと早くに止めていたらこんなことにならなかったんだ」
そう言って、高野は頭を下げた。
「何言ってんの高野。試合を続けさせてって駄々をこねたのはあたしなんだから気にしないでよ。ほらっ顔上げて」
みちるは慌てながら言った。
「でもさ、みちるに勝ち目がなかったわけじゃなかったんだ。俺が由香理のスタミナをつく作戦を徹底させていたら試合の結果も違ってたかもしれない」
「止めてよ高野。だってほらあたしが…」
みちるの言葉が詰まる。
高野は試合前だってもっと練習をしたらどうだってアドバイスしてくれたのに聞く耳を持たなかった。あたしが慢心していたから負けたんだ…。試合に勝つのは絶対あたしだって思いこんじゃってあたしったらバカみたい…。
「ごめん、高野…」
「なんだよ急に…?」
「高野は試合前にアドバイスしてくれたのにあたしったら全然聞く耳持たなくてさ…」
「もう終わったことだよ。俺ももっとしつこく言っとくべきだった」
高野の言葉は優しかった。
「でも…」
「いいから」
包み込むように――――。
「次、頑張ろうぜ。たった一度負けただけなんだ。次二人で力を合わせたら由香理に勝てるさ」
温かく――――。
芯まで染み入っていく。高野がみちるの肩に手をかける。まっすぐ目を向けてきて、みちるも思わずその目を見つめ続けた。
みちるの瞳が緩み涙が零れ落ちてきた。
「おい、みちる」
「こっ高野っ、あっありがとうっ」
涙で言葉が詰まりながら言った。
そうだ、高野がこんなにも協力してくれるんだ。頑張らなきゃ。
高野の告白の返事とか気にしてた自分が恥ずかしいよ。高野は自分もボクサーで日本チャンピオンでもあるのに、それでもあたしにこんなに協力してくれるんだ。それなのにあたしは自分のことばっか考えて。もっとボクシングに真剣に向き合わなきゃ…。もっともっと必死になって練習して今度こそ由香理に勝って日本チャンピオンになるんだ。
みちるは高野にありのままの自分の気持ちを伝えた。高野は何も言わず、「頑張ろうぜ」とだけ言ってくれた。
それからしばらくして高野は「じゃあな」と言って病室から出た。
その二分後にまたドアが開く音がした。高野が忘れ物して帰ってきたのかなと思って見て、みちるは口を強く接ぐんだ。
病室に入ってきたのは由香理だった。紫色のショールを肩にまとい下はスカート履いて上下白の色合いでまとめた服装をしていた。リングの上とは違いとてもボクサーとは思えない清楚な大人の女性の雰囲気が由香理からは感じられた。由香理の顔には痣一つ見当たらない。昨日ボクシングの試合をしたのが嘘のような綺麗な顔をしているのが完敗だったことを改めて痛感させられて、みちるは思わず目を反らした。
「御身体は大丈夫かしら?」
「うん…」
みちるは元気よく答えようとしたものの、出た声はまったく覇気のないものだった。自分の感情を隠そうとしても全然隠せてなくて嫌になる。
「明日には退院できるから」
「そう、良かったわ」
由香里はそう答えただけで沈黙が出来た。
「椅子に座ったら…」
とみちるは言ったものの、
「長居するつもりはないからいいわ」
と由香理はつれない返事を返してきた。そして、
「それじゃあ」
と言った。
「えっもう帰るの?」
「ええ。あなたの身体が心配だっただけだから」
そう言って、由香理はみちるに背を向ける。
「待って」
ドアに向かっていた由香理が顔だけをこちらに向ける。
「ねぇ、がっかりした?あたしとの試合…」
由香理が体ごとこちらに向けてきた。
「えぇ、正直言ってがっかりだったわ」
由香里は感情を見せずに言い放った。
「私は学校の生徒の前で闘った時のような熱い闘いが出来るとばかり思っていたのに」
「そう…」
みちるは俯いて両手でシーツを握りしめた。
「今回はあたしの完敗だよ。それは認める」
そう言ってからみちるは由香理の顔を見て、両手で握り拳を作ってみせた。
「でも、次は絶対に負けないからね」
由香理は目を瞑り首を横に振った。
「残念ね。もう次はないのよ」
「えっ…」
「私の身体はフライ級のままでいるのはもう限界なのよ」
と由香理は言って続けた。
「ベルトは返上するわ」
「フライ級じゃもう闘わないってこと…?」
「ええ、私はスーパーフライ級に階級を上げて世界を目指すわ。もう日本のベルトに挑戦することもしない」
みちるの心の中で霧のようなもやもやした感覚が広がっていく。
「残念だったわ。あなたとの最後の闘いがこんな内容で終わるなんて」
由香里はそう言って、みちるに背を向ける。
「お元気で」
そう言い残して、由香理は部屋を出ていった。みちるは力ない表情で由香理の姿が無くなった後もドアを見続けた。それから、顔を伏せて両手で目を塞いだ。
由香理はもうフライ級でいられない身体だったのにそれでも無理して減量を乗り越えてあたしとの試合に臨んだ。
あたしはバカだ…。由香理のあたしとの試合にかけた思いも知らずにいつもの試合と変わらない思いで試合に臨むなんて…。勝てるはずがなかったんだあたしじゃ…。
涙が零れ落ち、シーツにシミが出来ていく。
くしゃくしゃに顔を歪めて、涙が枯れるまで泣き続けた。
一年後。リングの上で名前をコールされ、右手を上げると割れんばかりの由香理コールが沸き起こった。後楽園ホールを埋め尽くした満員の客の熱が場内に満ち溢れていた。
これまでの試合とは明らかに違う空気がリングの上を包んでいると由香理は肌でひしひしと感じる。
由香里は対角線上に立つチャンピオンに視線を向けた。金色の髪をした美しいチャンピオンの体つきは美しい彫刻のように筋肉をまとい光を発しているかのようだった。これまで十度の防衛を果たしている女子ボクシング最強の世界チャンピオン。
最後の壁はそう簡単には崩せなさそうね。
この先にまだ私の知らない世界がある。
でも、私は自分のボクシングを信じて闘うだけ。
セコンドからマウスピースを渡されて由香理は口に含んだ。両腕でファイティングポーズを取りながらチャンピオンの姿を見続ける。
闘いのゴングが高らかに鳴った。
第1章 完
両腕が鉛のように重たくて動かなかった。パンチを出したくても出せない。そんな中で由香理のパンチを一方的に浴び続けた。
高野の叫ぶような声。
がんばらなきゃ。がんばって勝って、高野の告白の返事を待つんだ。
重たくて言うことをきかない右拳を握りしめ、なんとか由香理の顔面めがけて放った。
でも、みちるのパンチより先に由香理の右のアッパーカットが突き上げられた。
顎を突き上げられてみちるは血飛沫と共にマウスピースを吐き出して後ろに吹き飛ばされていく。泥酔したようにリングをふらつき血反吐を撒き散らしながらキャンバスに崩れ落ちた。
頬をキャンバスに埋まらせ苦痛に満ちた表情で血反吐を垂らすみちる。そして、由香理が優越感に浸った表情で見下ろしていた。
「終わったのよ何もかも…」
そう言って、微笑する由香理。次の瞬間には、みちるに背を向ける由香理の肩に高野が笑顔で手をかけていた。
「いや~!!」
みちるは大声を出して起き上がった。
周りを見渡すと、そこはベッドの上。
みちるは思い出す。由香理にKO負けされてそのダメージで入院したことを。入院して二日目。幸い身体に異常は見つからなくてダメージも身体に残っていない。明日には退院出来る予定だった。大事にはいたらなくてよかった。でも…。
あたしは何も手に出来なかった。試合に勝つこともチャンピオンベルトを腰に巻くことも高野の告白の返事を受けることも…。
ドアの開く音がした。
「起きてたのか」
と言いながら高野が部屋に入ってきた。
「うん。身体は全然大丈夫だし」
「そっか…良かったよ。みちるが元気で」
高野はそう言って右手に持っていた果物の盛り合わせが入った籠を台の上に置くと、ベッドの隣の椅子に座った。
「高野…ごめんね。心配かけちゃって」
みちるは精一杯の笑顔を高野に向けた。でも、高野は下を向いたままでいる。
「どうしたの高野…?」
「みちる…悪かった…俺が試合をもっと早くに止めていたらこんなことにならなかったんだ」
そう言って、高野は頭を下げた。
「何言ってんの高野。試合を続けさせてって駄々をこねたのはあたしなんだから気にしないでよ。ほらっ顔上げて」
みちるは慌てながら言った。
「でもさ、みちるに勝ち目がなかったわけじゃなかったんだ。俺が由香理のスタミナをつく作戦を徹底させていたら試合の結果も違ってたかもしれない」
「止めてよ高野。だってほらあたしが…」
みちるの言葉が詰まる。
高野は試合前だってもっと練習をしたらどうだってアドバイスしてくれたのに聞く耳を持たなかった。あたしが慢心していたから負けたんだ…。試合に勝つのは絶対あたしだって思いこんじゃってあたしったらバカみたい…。
「ごめん、高野…」
「なんだよ急に…?」
「高野は試合前にアドバイスしてくれたのにあたしったら全然聞く耳持たなくてさ…」
「もう終わったことだよ。俺ももっとしつこく言っとくべきだった」
高野の言葉は優しかった。
「でも…」
「いいから」
包み込むように――――。
「次、頑張ろうぜ。たった一度負けただけなんだ。次二人で力を合わせたら由香理に勝てるさ」
温かく――――。
芯まで染み入っていく。高野がみちるの肩に手をかける。まっすぐ目を向けてきて、みちるも思わずその目を見つめ続けた。
みちるの瞳が緩み涙が零れ落ちてきた。
「おい、みちる」
「こっ高野っ、あっありがとうっ」
涙で言葉が詰まりながら言った。
そうだ、高野がこんなにも協力してくれるんだ。頑張らなきゃ。
高野の告白の返事とか気にしてた自分が恥ずかしいよ。高野は自分もボクサーで日本チャンピオンでもあるのに、それでもあたしにこんなに協力してくれるんだ。それなのにあたしは自分のことばっか考えて。もっとボクシングに真剣に向き合わなきゃ…。もっともっと必死になって練習して今度こそ由香理に勝って日本チャンピオンになるんだ。
みちるは高野にありのままの自分の気持ちを伝えた。高野は何も言わず、「頑張ろうぜ」とだけ言ってくれた。
それからしばらくして高野は「じゃあな」と言って病室から出た。
その二分後にまたドアが開く音がした。高野が忘れ物して帰ってきたのかなと思って見て、みちるは口を強く接ぐんだ。
病室に入ってきたのは由香理だった。紫色のショールを肩にまとい下はスカート履いて上下白の色合いでまとめた服装をしていた。リングの上とは違いとてもボクサーとは思えない清楚な大人の女性の雰囲気が由香理からは感じられた。由香理の顔には痣一つ見当たらない。昨日ボクシングの試合をしたのが嘘のような綺麗な顔をしているのが完敗だったことを改めて痛感させられて、みちるは思わず目を反らした。
「御身体は大丈夫かしら?」
「うん…」
みちるは元気よく答えようとしたものの、出た声はまったく覇気のないものだった。自分の感情を隠そうとしても全然隠せてなくて嫌になる。
「明日には退院できるから」
「そう、良かったわ」
由香里はそう答えただけで沈黙が出来た。
「椅子に座ったら…」
とみちるは言ったものの、
「長居するつもりはないからいいわ」
と由香理はつれない返事を返してきた。そして、
「それじゃあ」
と言った。
「えっもう帰るの?」
「ええ。あなたの身体が心配だっただけだから」
そう言って、由香理はみちるに背を向ける。
「待って」
ドアに向かっていた由香理が顔だけをこちらに向ける。
「ねぇ、がっかりした?あたしとの試合…」
由香理が体ごとこちらに向けてきた。
「えぇ、正直言ってがっかりだったわ」
由香里は感情を見せずに言い放った。
「私は学校の生徒の前で闘った時のような熱い闘いが出来るとばかり思っていたのに」
「そう…」
みちるは俯いて両手でシーツを握りしめた。
「今回はあたしの完敗だよ。それは認める」
そう言ってからみちるは由香理の顔を見て、両手で握り拳を作ってみせた。
「でも、次は絶対に負けないからね」
由香理は目を瞑り首を横に振った。
「残念ね。もう次はないのよ」
「えっ…」
「私の身体はフライ級のままでいるのはもう限界なのよ」
と由香理は言って続けた。
「ベルトは返上するわ」
「フライ級じゃもう闘わないってこと…?」
「ええ、私はスーパーフライ級に階級を上げて世界を目指すわ。もう日本のベルトに挑戦することもしない」
みちるの心の中で霧のようなもやもやした感覚が広がっていく。
「残念だったわ。あなたとの最後の闘いがこんな内容で終わるなんて」
由香里はそう言って、みちるに背を向ける。
「お元気で」
そう言い残して、由香理は部屋を出ていった。みちるは力ない表情で由香理の姿が無くなった後もドアを見続けた。それから、顔を伏せて両手で目を塞いだ。
由香理はもうフライ級でいられない身体だったのにそれでも無理して減量を乗り越えてあたしとの試合に臨んだ。
あたしはバカだ…。由香理のあたしとの試合にかけた思いも知らずにいつもの試合と変わらない思いで試合に臨むなんて…。勝てるはずがなかったんだあたしじゃ…。
涙が零れ落ち、シーツにシミが出来ていく。
くしゃくしゃに顔を歪めて、涙が枯れるまで泣き続けた。
一年後。リングの上で名前をコールされ、右手を上げると割れんばかりの由香理コールが沸き起こった。後楽園ホールを埋め尽くした満員の客の熱が場内に満ち溢れていた。
これまでの試合とは明らかに違う空気がリングの上を包んでいると由香理は肌でひしひしと感じる。
由香里は対角線上に立つチャンピオンに視線を向けた。金色の髪をした美しいチャンピオンの体つきは美しい彫刻のように筋肉をまとい光を発しているかのようだった。これまで十度の防衛を果たしている女子ボクシング最強の世界チャンピオン。
最後の壁はそう簡単には崩せなさそうね。
この先にまだ私の知らない世界がある。
でも、私は自分のボクシングを信じて闘うだけ。
セコンドからマウスピースを渡されて由香理は口に含んだ。両腕でファイティングポーズを取りながらチャンピオンの姿を見続ける。
闘いのゴングが高らかに鳴った。
第1章 完
一点だけツッコミを。ライトフライ級はフライ級より軽い階級です。上なのはスーパーフライ級です。
ご指摘ありがとうございます(^^)大事なところなので早速修正しておこうと思います。