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 お兄ちゃんは一人しかいない。そりゃそうだ。でも、それはとても深刻な問題に結びつく。お兄ちゃんはあたしのトレーナーであって美羽のトレーナーでもある。そして、次の試合の対戦相手は美羽になるのかもしれないのだ。もしそうなったらお兄ちゃんはあたしと美羽のどっちのセコンドに付く?妹のあたしにつくのが情というものだと思うけれど、美羽には…。
 長椅子に座って両手で頬杖をつきながら思いを巡らせていると、頭に影がかかってきた。亜衣は顔を上げる。
「お兄ちゃん…」
「何してんだ。もう練習終わったんだろ」
 兄のタクロウは立ったままでいる。
「考えごと」
 亜衣は頬杖をついたままタクロウから目を反らして言った。
「おいおい、ここはボクシングジムだぜ。考えごとなら家に帰ってからにしろよ」
 タクロウは呆れ気味に両の掌を天に向けた。
「いいの。ボクシングのことだから」
「なんだ、ボクシングのことか。だったら俺に相談しろよ。水臭ぇじゃねえか。俺は亜衣のトレーナーだろ」
 タクロウは親指を立てて自分に指す。
「プライベートなことだから」
「ボクシングにプライベートもねぇだろ」
 タクロウは、ははっと笑みを浮かべながら言う。
 それがあるんだよお兄ちゃん。亜衣は依然としてタクロウの顔を見ずに心の中で呟いた。
「タクロ~、美羽のスパーが始まるからこっちに来てくれ~」
 会長がリングのある方から声をかけてきた。
「うっす」
 タクロウは会長の方を見て返事するとこちらを向いて、
「気が向いたらいつでも言えよ。俺はお前の兄でもあるんだからよ」
 そう言い残してリングに向かって行った。
 亜衣もリングに目を向けると、美羽とスパーリング相手の女子選手がお互いコーナーに立って備えていた。美羽のスパーリングの相手はわざわざ他のジムから呼び寄せた選手だ。美羽の次の試合の相手がサウスポーということで会長が用意したのだ。まだ四回戦クラスで女子としては異例なことだ。それだけジムが美羽に期待をかけているっていうこと。
 高校生でありながらアマチュアの大会である全日本選手権を優勝した実績を残して美羽は一年前にジムに入門してきた。これまでプロのリングで三戦三勝三KO。アマチュアでの輝かしい実績に見劣りしない立派な結果を残している。そして、次の新人王トーナメント準決勝の試合に勝てば亜衣の対戦相手になる。
 ――――あたしはトレーナーになってくれたお兄ちゃんと一緒にチャンピオンになりたくてボクシングを続けてきた。でも、その夢を適えるには美羽を超えなきゃいけない。そのためにもお兄ちゃんがあたしのセコンドについてくれないと…。
 リングからは美羽のパンチの乾いた音だけが間隔が開くことなく聞こえてくる。亜衣は立ち上がりリングからはもう目を向けずにシャワー室へ向かった。
小説・あに―いもうと | コメント(0)
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