「希望はリングにある」第4話
2016/11/26 Sat 01:25
レフェリーがダウンを宣告した。
裕子が苦しそうに息を荒げながらも右腕を上げて、喜びを表現する。
お尻が突き上がり尺取り虫のような姿勢で顔をキャンバスに埋める未希。顔から赤い水溜まりが広がっていく。
カウント5で上半身を起こした未希の顔面は真っ赤に染まっていた。
カウント8でかろうじて立ち上がる。
第1ラウンド終了のゴングが鳴った。
深紅に染まる未希の顔を見て、貴子の顔色が青ざめる。
スツールに力無く腰を下ろした未希の顔面を辰巳がタオルで拭き鼻血の手当てをする。鼻血が止まった未希に指示を出した。
「未希、左ジャブにボディを合わせるのはもう止めるんだ」
「そんな・・・あんなに練習したのに」
「次カウンターで合わせられたらおしまいだ。左ジャブから崩して接近戦に持ち込め」
ジャブの仕草を交えながら辰巳は言う。
「左ジャブって、左ジャブの差し合いじゃ小泉に敵うはずないじゃない!!」
貴子が声を張り上げた。
「分かってる。だが、それしか闘い方はないんだ」
辰巳が苦汁に満ちた声を出す。
「未希、ボディブローを打てなくなったわけじゃない。チャンスは必ずまたくる。決して気持ちで負けるな」
辰巳が顔を近付けて握り拳を見せると、未希は声を出さずに首を縦に降って頷いた。
第2ラウンド開始のゴングが鳴った。
裕子は第1ラウンドと同じようにフットワークを使いながら左ジャブを放ってくる。未希は自分のボクシングスタイルを捨てた屈伏した思いを味わいながら左ジャブで応戦する。
「どうしたの?左ジャブなんてらしくないじゃない」
裕子が笑みを浮かべる。
未希は言い返さずに左ジャブを打っていく。言葉じゃなくてボクシングで分からせるつもりだった。しかし、未希の左ジャブはことごとくかわされ、裕子の左ジャブだけが当っていく。技術の差は歴然だった。
第4ラウンドの中盤に差し掛かった頃には未希の手は止まり、裕子が好き放題にパンチを打ち込んでいた。左ジャブと右ストレートのコンビネーションで中間距離から未希の顔面をパンチングボールのように吹き飛ばしていく。
未希の顔面は原形を留めてないほどに腫れ上がり悲壮感に満ちていた。第2ラウンド以降一度もパンチを当てられずにいる。第1ラウンドに左のボディブローで裕子からダウンを奪ったのが遠い出来事のように未希は思えた。もう一度・・・もう一度必ず左ボディを当ててみせる。僅かな勝利の可能性を左の拳に託し未希は裕子のパンチに耐え続けていた。
「大好きな左ボディはもう打たないの。怯えていたらボクシングにならないわ」
裕子が笑みを浮かべて挑発する。
「そんな安っぽい挑発に乗るもんか」
「だったらわたしのパンチで早くキャンバスに沈めてあげる」
裕子はそう言い放つと前屈みに距離を縮め、大きく左足で踏み込んだ。
未希のお株を奪う左のボディブローを打ち込む。
さらに右のフックをテンプルにヒットさせ未希の身体を吹き飛ばした。
なんとか踏みとどまった未希は左ジャブを放つが裕子にあっさりと避けられ、逆に手本を見せつけられるかのように左ジャブを連続して打ち込まれた。
ガードすらままならなくなり、一方的に打たれ続ける。頬が水膨れしたかのような異様な腫れ上がり方をして、もはや別人といっていいほどに未希の顔面は醜く変わり果てていった。顔がほぼ無傷の裕子とは絶望的なまでに差が広がっていく。
ダメだ、あたしにはやっぱり左ボディしかない。
未希は裕子の左ジャブをかわすと、前に出た。
ダメージの限界を感じた未希は一か八かの賭けに出た。
裕子の右脇腹にボディブローを放つ。未希はこれ以上ないタイミングでパンチを打てた。しかし、裕子の右拳はそれよりも早く伸び上がっていく。
グワシャッ!!
裕子の右アッパーカットが炸裂した。会心のパンチも当たらず、希望すらも打ち砕かれた未希。ひしゃげた顔面から血が霧状に舞い散り両腕がだらりと下がる。目の焦点が合わず打ちのめされたように前のめりに崩れ落ちていく。
会心の左ボディすら当たらなかった失望感に未希は気力さえも奪われていった。遠のく意識の中で映像が浮かび上がる。それはサンドバッグの前でひたすらボディブローの練習してきた自分の姿。
練習は裏切らないって言葉があたしは好きだ。だったら当たるまで打つだけだ。
未希は左足を前に出して踏ん張り、力の限り左拳を振り回した。未希の左拳が裕子の右脇腹に突き刺さる。裕子は苦悶に満ちた表情を浮かべ身体が硬直する。思いもしなかった未希の反撃に腹筋を打ち抜かれ、地獄のような苦しみを味わっていた。胃の中の物を吐き出してしまいたくなりそうな苦しみと呼吸が出来ない苦しみ。目からは涙が浮かび、必死に息を吸おうと唇の先が細く尖りマウスピースがこぼれ落ちそうになっていた。
未希が左拳を引き抜くと、裕子の口からマウスピースが吐き出され全身の力が抜け落ちたように弱々しく前のめりに崩れ落ちた。
レフェリーがダウンを宣告し、カウントが始まった。
未希の大逆転劇に場内が沸き上がる。長く試合を支配していた裕子にとってそれは苛立たしいノイズでしかなかった。
なによ、さっきまでわたしのボクシングに歓声を送ってたのに・・・。
苛立ちを募らせる裕子だが、身体のダメージは深刻だった。両足に力が入らずに呼吸もままならない。無理して息を吸い込み逆にむせ込んだ。
「げあぁっ・・・ぁぁっ・・・」
身体が丸まり右腕で腹をさすりながら悶え苦しむ声を出すその様に強かった裕子のイメージが崩れ落ちていく。しかし、裕子は観客の目を気にもせず、大声を叫びながら気合いで立ち上がった。
試合は再開したが、十秒とかからずに未希の左ボディブローが再び炸裂した。
「ぶぅえっっ!!」
裕子はくわえたばかりのマウスピースを早くも吐き出した。
二発、三発と左ボディが打ち込まれた。裕子がたまらずガードを下げる。無防備になった顔面に激しい衝撃が走り、右に吹き飛ばされた。返しの左で逆へと吹き飛ばされる。裕子の顔面が未希のフックの連打で右に左に乱れ飛んだ。瞬く間に裕子の顔面が腫れ上がっていった。後ろに押されていきロープを背負い逃げ場も失った。未希のパンチの連打はさらに勢いを増す。裕子の目が弱々しく虚ろになる。
もうダメかもしれない・・・。
「裕子~辛い時は練習を思い出せ!!」
ロープ際でパンチの雨に耐え続ける裕子の背に届く声。昭夫がリングサイドで叫んでいた。
「どんなに辛い練習でも弱音を吐かず頑張ってきただろ!!」
お父さんがわたしに激を飛ばしてくれている・・・。
裕子の意識が呼び覚まされていく。
わたしは・・・わたしは・・・。
裕子が右拳を握りしめた。
わたしは負けられない―――――。
ラッシュをかけていた未希のパンチの踏み込みが増す。それはこのパンチで相手を倒すという思いの表れ。しかし、未希は知らない。自分を上回る勝利への執念が込められた一撃が迫っていることを。未希の左フックが空を切る。次の瞬間、凄まじい打撃音が生じた。
グワシャッ!!
未希の嵐のようなパンチの連打が止まった。裕子の右ストレートが未希の頬にめり込まれている。美しく決まった裕子のクロスカウンターに場内が静まり返った。数倍に膨らんだパンチの衝撃に未希の頬が潰され歪んだ口からはマウスピースがはみ出ている。身体がぷるぷると小刻みに震えるが、二人の腕が交差していて倒れることすら出来ずにいる。
「ぶほぉっ!!」
未希の口からマウスピースが吐き出された。裕子が右拳を引き、未希が許しを得たかのように後ろに倒れ落ちていく。大の字になってキャンバスに倒れ込んだ。
裕子が右腕を上げると、歓声が沸き上がった。
カウントが進んでいくが、未希はぴくりとも動けない。
「未希~立って!あとちょっとだったじゃない!!」
貴子の泣き叫ぶような激励にも未希は動けずにいた。
貴子はそれでも必死に声を出す。何度も何度も未希の名前を呼んだ。
そして、奇跡は起きた。未希がカウント9で立ち上がったのだ。
試合が再開されたところで、第4ラウンド終了のゴングが鳴った。
ファイティングポーズを取ったままその場に立ち尽くす未希が後ろに崩れ落ちていく。貴子が未希の両肩を後ろから抱き止めた。未希は貴子に肩を借りながら青コーナーに戻っていく。
「未希、しっかりして!」
貴子の呼びかけに未希は小声で「あぁ・・・」と返すのがやっとだった。
ようやくスツールに座れたものの、首が垂れた姿勢で今にも倒れ落ちそうだった。
「お父さん、もうこれ以上は・・・」
貴子が辰巳の顔を見た。
「あぁそうだな・・・」
「待って・・・あたしはまだやれる。あと少しで小泉を倒せるんだ・・・。もう少しお願いだから続けてさせてよ会長・・・」
未希の懇願に辰巳がじっとその目を見続ける。
「分かった。未希を信じよう」
未希はうっすらと笑みを浮かべた。
「ガードを上げて一発にかけろ。いいな」
未希は黙って頷く。
一発に・・・。未希は心の中で何度も反芻した。そうしてなんとか今にも飛びそうな意識を繋ぎ止めていた。
疲労とダメージの蓄積で意識が朦朧としながら赤コーナーに戻ると、そこには昭夫の姿があった。
「お父さん・・・」
秋子が用意したスツールに座ると、すぐに昭夫に目を向けた。弱々しい目に映るずっと待ち望んでいた父の姿。ぼんやりとしていた裕子の意識が戻っていく。
「足に力は入るか」
「うん・・・」
「よしっ次のラウンド左ジャブで攻めていけ。深追いはするな。距離を取りながら攻めるんだ」
「分かった」
インターバルの時間が終わり、裕子は立ち上がる。身体はぼろぼろなのに不思議と力は沸き上がっていくのを感じていた。
裕子が苦しそうに息を荒げながらも右腕を上げて、喜びを表現する。
お尻が突き上がり尺取り虫のような姿勢で顔をキャンバスに埋める未希。顔から赤い水溜まりが広がっていく。
カウント5で上半身を起こした未希の顔面は真っ赤に染まっていた。
カウント8でかろうじて立ち上がる。
第1ラウンド終了のゴングが鳴った。
深紅に染まる未希の顔を見て、貴子の顔色が青ざめる。
スツールに力無く腰を下ろした未希の顔面を辰巳がタオルで拭き鼻血の手当てをする。鼻血が止まった未希に指示を出した。
「未希、左ジャブにボディを合わせるのはもう止めるんだ」
「そんな・・・あんなに練習したのに」
「次カウンターで合わせられたらおしまいだ。左ジャブから崩して接近戦に持ち込め」
ジャブの仕草を交えながら辰巳は言う。
「左ジャブって、左ジャブの差し合いじゃ小泉に敵うはずないじゃない!!」
貴子が声を張り上げた。
「分かってる。だが、それしか闘い方はないんだ」
辰巳が苦汁に満ちた声を出す。
「未希、ボディブローを打てなくなったわけじゃない。チャンスは必ずまたくる。決して気持ちで負けるな」
辰巳が顔を近付けて握り拳を見せると、未希は声を出さずに首を縦に降って頷いた。
第2ラウンド開始のゴングが鳴った。
裕子は第1ラウンドと同じようにフットワークを使いながら左ジャブを放ってくる。未希は自分のボクシングスタイルを捨てた屈伏した思いを味わいながら左ジャブで応戦する。
「どうしたの?左ジャブなんてらしくないじゃない」
裕子が笑みを浮かべる。
未希は言い返さずに左ジャブを打っていく。言葉じゃなくてボクシングで分からせるつもりだった。しかし、未希の左ジャブはことごとくかわされ、裕子の左ジャブだけが当っていく。技術の差は歴然だった。
第4ラウンドの中盤に差し掛かった頃には未希の手は止まり、裕子が好き放題にパンチを打ち込んでいた。左ジャブと右ストレートのコンビネーションで中間距離から未希の顔面をパンチングボールのように吹き飛ばしていく。
未希の顔面は原形を留めてないほどに腫れ上がり悲壮感に満ちていた。第2ラウンド以降一度もパンチを当てられずにいる。第1ラウンドに左のボディブローで裕子からダウンを奪ったのが遠い出来事のように未希は思えた。もう一度・・・もう一度必ず左ボディを当ててみせる。僅かな勝利の可能性を左の拳に託し未希は裕子のパンチに耐え続けていた。
「大好きな左ボディはもう打たないの。怯えていたらボクシングにならないわ」
裕子が笑みを浮かべて挑発する。
「そんな安っぽい挑発に乗るもんか」
「だったらわたしのパンチで早くキャンバスに沈めてあげる」
裕子はそう言い放つと前屈みに距離を縮め、大きく左足で踏み込んだ。
未希のお株を奪う左のボディブローを打ち込む。
さらに右のフックをテンプルにヒットさせ未希の身体を吹き飛ばした。
なんとか踏みとどまった未希は左ジャブを放つが裕子にあっさりと避けられ、逆に手本を見せつけられるかのように左ジャブを連続して打ち込まれた。
ガードすらままならなくなり、一方的に打たれ続ける。頬が水膨れしたかのような異様な腫れ上がり方をして、もはや別人といっていいほどに未希の顔面は醜く変わり果てていった。顔がほぼ無傷の裕子とは絶望的なまでに差が広がっていく。
ダメだ、あたしにはやっぱり左ボディしかない。
未希は裕子の左ジャブをかわすと、前に出た。
ダメージの限界を感じた未希は一か八かの賭けに出た。
裕子の右脇腹にボディブローを放つ。未希はこれ以上ないタイミングでパンチを打てた。しかし、裕子の右拳はそれよりも早く伸び上がっていく。
グワシャッ!!
裕子の右アッパーカットが炸裂した。会心のパンチも当たらず、希望すらも打ち砕かれた未希。ひしゃげた顔面から血が霧状に舞い散り両腕がだらりと下がる。目の焦点が合わず打ちのめされたように前のめりに崩れ落ちていく。
会心の左ボディすら当たらなかった失望感に未希は気力さえも奪われていった。遠のく意識の中で映像が浮かび上がる。それはサンドバッグの前でひたすらボディブローの練習してきた自分の姿。
練習は裏切らないって言葉があたしは好きだ。だったら当たるまで打つだけだ。
未希は左足を前に出して踏ん張り、力の限り左拳を振り回した。未希の左拳が裕子の右脇腹に突き刺さる。裕子は苦悶に満ちた表情を浮かべ身体が硬直する。思いもしなかった未希の反撃に腹筋を打ち抜かれ、地獄のような苦しみを味わっていた。胃の中の物を吐き出してしまいたくなりそうな苦しみと呼吸が出来ない苦しみ。目からは涙が浮かび、必死に息を吸おうと唇の先が細く尖りマウスピースがこぼれ落ちそうになっていた。
未希が左拳を引き抜くと、裕子の口からマウスピースが吐き出され全身の力が抜け落ちたように弱々しく前のめりに崩れ落ちた。
レフェリーがダウンを宣告し、カウントが始まった。
未希の大逆転劇に場内が沸き上がる。長く試合を支配していた裕子にとってそれは苛立たしいノイズでしかなかった。
なによ、さっきまでわたしのボクシングに歓声を送ってたのに・・・。
苛立ちを募らせる裕子だが、身体のダメージは深刻だった。両足に力が入らずに呼吸もままならない。無理して息を吸い込み逆にむせ込んだ。
「げあぁっ・・・ぁぁっ・・・」
身体が丸まり右腕で腹をさすりながら悶え苦しむ声を出すその様に強かった裕子のイメージが崩れ落ちていく。しかし、裕子は観客の目を気にもせず、大声を叫びながら気合いで立ち上がった。
試合は再開したが、十秒とかからずに未希の左ボディブローが再び炸裂した。
「ぶぅえっっ!!」
裕子はくわえたばかりのマウスピースを早くも吐き出した。
二発、三発と左ボディが打ち込まれた。裕子がたまらずガードを下げる。無防備になった顔面に激しい衝撃が走り、右に吹き飛ばされた。返しの左で逆へと吹き飛ばされる。裕子の顔面が未希のフックの連打で右に左に乱れ飛んだ。瞬く間に裕子の顔面が腫れ上がっていった。後ろに押されていきロープを背負い逃げ場も失った。未希のパンチの連打はさらに勢いを増す。裕子の目が弱々しく虚ろになる。
もうダメかもしれない・・・。
「裕子~辛い時は練習を思い出せ!!」
ロープ際でパンチの雨に耐え続ける裕子の背に届く声。昭夫がリングサイドで叫んでいた。
「どんなに辛い練習でも弱音を吐かず頑張ってきただろ!!」
お父さんがわたしに激を飛ばしてくれている・・・。
裕子の意識が呼び覚まされていく。
わたしは・・・わたしは・・・。
裕子が右拳を握りしめた。
わたしは負けられない―――――。
ラッシュをかけていた未希のパンチの踏み込みが増す。それはこのパンチで相手を倒すという思いの表れ。しかし、未希は知らない。自分を上回る勝利への執念が込められた一撃が迫っていることを。未希の左フックが空を切る。次の瞬間、凄まじい打撃音が生じた。
グワシャッ!!
未希の嵐のようなパンチの連打が止まった。裕子の右ストレートが未希の頬にめり込まれている。美しく決まった裕子のクロスカウンターに場内が静まり返った。数倍に膨らんだパンチの衝撃に未希の頬が潰され歪んだ口からはマウスピースがはみ出ている。身体がぷるぷると小刻みに震えるが、二人の腕が交差していて倒れることすら出来ずにいる。
「ぶほぉっ!!」
未希の口からマウスピースが吐き出された。裕子が右拳を引き、未希が許しを得たかのように後ろに倒れ落ちていく。大の字になってキャンバスに倒れ込んだ。
裕子が右腕を上げると、歓声が沸き上がった。
カウントが進んでいくが、未希はぴくりとも動けない。
「未希~立って!あとちょっとだったじゃない!!」
貴子の泣き叫ぶような激励にも未希は動けずにいた。
貴子はそれでも必死に声を出す。何度も何度も未希の名前を呼んだ。
そして、奇跡は起きた。未希がカウント9で立ち上がったのだ。
試合が再開されたところで、第4ラウンド終了のゴングが鳴った。
ファイティングポーズを取ったままその場に立ち尽くす未希が後ろに崩れ落ちていく。貴子が未希の両肩を後ろから抱き止めた。未希は貴子に肩を借りながら青コーナーに戻っていく。
「未希、しっかりして!」
貴子の呼びかけに未希は小声で「あぁ・・・」と返すのがやっとだった。
ようやくスツールに座れたものの、首が垂れた姿勢で今にも倒れ落ちそうだった。
「お父さん、もうこれ以上は・・・」
貴子が辰巳の顔を見た。
「あぁそうだな・・・」
「待って・・・あたしはまだやれる。あと少しで小泉を倒せるんだ・・・。もう少しお願いだから続けてさせてよ会長・・・」
未希の懇願に辰巳がじっとその目を見続ける。
「分かった。未希を信じよう」
未希はうっすらと笑みを浮かべた。
「ガードを上げて一発にかけろ。いいな」
未希は黙って頷く。
一発に・・・。未希は心の中で何度も反芻した。そうしてなんとか今にも飛びそうな意識を繋ぎ止めていた。
疲労とダメージの蓄積で意識が朦朧としながら赤コーナーに戻ると、そこには昭夫の姿があった。
「お父さん・・・」
秋子が用意したスツールに座ると、すぐに昭夫に目を向けた。弱々しい目に映るずっと待ち望んでいた父の姿。ぼんやりとしていた裕子の意識が戻っていく。
「足に力は入るか」
「うん・・・」
「よしっ次のラウンド左ジャブで攻めていけ。深追いはするな。距離を取りながら攻めるんだ」
「分かった」
インターバルの時間が終わり、裕子は立ち上がる。身体はぼろぼろなのに不思議と力は沸き上がっていくのを感じていた。
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