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 それはこれ以上ない不意打ちだった。
「未希ちゃん、僕と付き合わない?」
 ジムを出て二人だけで帰っていく別れ際、時宗はそう言ったのだ。
 未希は口をうっすらと開けながら、自分を指差した。時宗は笑顔で頷く。
「まいったな・・」
 未希は目を反らし、頬を人差し指で掻いた。
「うれしいんだけどさ・・・」
 一度目を瞑ってから時宗の顔を見た。
「何でこのタイミングで言うかな・・・」
 時宗は目をきょとんとさせる。
「何が?」
「あたし、大事な試合があるんだよ」
「試合ってまだ二ヶ月も先じゃない」
「そうだけどさ・・・でも、今回は相手が特別なんだ」
「あぁ・・・裕子ちゃんね」
 合点がいったのか時宗は首を少しだけ縦に振った。
「そう。だから集中させて欲しかったのに」
「返事は試合が終わってからでいいよ」
「ううん、どちらにしろ返事は変わらないから」
 そう言って、未希は頭を下げた。
「ごめん」
「そっか・・・未希ちゃんも僕に気があるかと思ってたんだけどな」
「いや・・・期待させたくないから言いたくはなかったけど」
 未希はまた目を反らす。
「好きか嫌いかでいえば好きだよ」
 未希の頬が赤く染まる。
「じゃあ何でさ」
「チャンピオンになるのが夢だから、恋愛する気になれないんだ」
「いいじゃない、ボクサー同士付き合うのも」
「あたしの考えは変わらないから」
「そっか。悪かった大事な時に」
 いつも温和な表情の時宗も流石に落胆した表情をみせて未希とは違う帰路を進んでいった。その背中から視線を外すと、あたしって馬鹿だよなと未希は声を漏らした。

 秋子が手にするミットめがけて裕子はパンチを叩き込む。ワンツー、上下の打ち分け、多彩なコンビネーションを放つ。
「ナイスパンチ」「そうその調子」
 秋子の小気味良い褒め言葉にのせられて疲れていてもリズムよく打ち続けられる。
 三分間の終了を告げるブザーが鳴った。
「よしっ今日はここまでだ」
 秋子がミットを下ろした。裕子は「ありがとうございました」と言って頭を下げた。秋子が近づいて声をひそめて言った。
「会長、裕子のこと褒めてたぞ、ここのところめきめき力を伸ばしてるって」
「でも、また試合にはセコンドについてくれないんですよね・・・」
「別に冷たくしてるわけじゃない。ただ距離の取り方を計りかねてるだけさ。また指導に熱が入るのを恐れてるんだよ」
 秋子の言うことは分かるし、気を使ってくれていて有り難いとは思っている。それでも、裕子は納得がいかず口をつぐむ。
「そのうち、ついてくれるようになるよ」
 秋子はそう言って裕子の肩をぽんと叩くと「おつかれ」と言って先にリングを降りた。
 裕子もリングを降りて長椅子に腰を下ろした。白いタオルを手にして頬を流れる汗を拭きながら息をついた。
 初めは父に褒められたくてボクシングを始めた。でも、今は違う。チャンピオンになりたくてまたボクシングを始めるようになった。だから別に前のように父がわたしに指導してくれなくてもかまわない。だけど、父とリングの上で喜びを分かちあえないのはやっぱり寂しい。いつまでこのぎこちない関係は続くんだろう。
 陰が落ちて裕子は顔を上げた。父の昭夫が目の前に立っていた。
「今日はもう練習終わりか」
「そうだけど・・・」
 昭夫が隣に座った。
「良い動きしてたぞ。調子が良さそうだな」
「うん」
 裕子は口を微かに開けた。
 父が初めて褒めてくれた・・・。
「次勝てば新人王だ。楽しみだな」
 裕子は唇を結んで目線を下ろす。高揚して気持ちの整理がつかないでいると、昭夫が立ち上がった。
 その場を離れていく昭夫の背中を見て声を出さずにはいられなかった。
「お父さんっ」
 昭夫が振り返る。
「次の試合勝てたら、これからはセコンドについてほしいんだけどっ」
 昭夫は数秒の間沈黙してから、
「分かった。次の試合期待してるぞ」
 と言ってくれた。
「うん」
 昭夫はまた背を向けて練習の場に戻っていく。裕子は昭夫の背中を見続けた。視界から無くなってから手のひらを握った。
 勝たなきゃ絶対。相手が未希だからとか関係ない。
小説・希望はリングにある | コメント(0)
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