「Valkyrie age」第2話
2018/02/18 Sun 22:05
「スペースコロニーに移住?」
「うん」と申し訳なさそうに答えるキララ。
「何でスペースコロニーなのっ…あっちの生活水準は地球より低いって有名じゃん」
そう言うと、キララは表情を曇らせて俯いてしまった。
あたしは思い出した。キララの家庭がけっして恵まれていないことを。キララの父親は地球歴史学の学者だけれど、数年前に大学の教授の座を追われて、それからは研究を続けながら小さな塾の講師のアルバイトでなんとか生計を立てていた。だから、キララはジムの月会費を一番安いコースにしている。一番安いコースは練習の場を自由に使えるだけでトレーナーの指導がつかない。でも、キララの強くなりたい思いを知ったあたしはトレーナーから教わったことを自分が彼女に教えていた。あたしが教えているからというのもあるけれど、彼女はけっしてボクシングは強くなかった。それでも、彼女は毎日のようにジムに通い真面目に練習を続けた。強い女性に憧れていた彼女はボクシングで世界チャンピオンになることを夢見ていた。
「ごめん…」
「そうじゃないのユウちゃん」
キララが慌てて否定する。
「えっ?」
「第3スペースコロニーの政府がお父さんの仕事を認めてくれて援助してくれるんだって。お父さんすごく喜んで…」
そう言って彼女は続けた。
「わたしは今の生活すごく好きだけど、だからいいの。お父さんがあんなに喜んだ顔見たの初めてだから」
「そっか…じゃあ笑顔でキララを送り出さないとね」
あたしは精一杯の笑顔を彼女にみせた。キララもぎこちない笑顔をみせてくれた。
「あっちでもボクシング続けるんでしょ」
「うん」
「目指すはあっちで世界チャンピオンだね」
「うん」
キララは頷いて、そして片方の目から涙が零れ落ちていった。
「ユウちゃんもお父さんの情報分かるといいね」
キララにはボクシングを始めた理由を教えていた。父のことまで話をしたのはジムの中で彼女だけだった。彼女だけがあたしの特別な存在で彼女にだけは本心を話したんだ。
そのキララとリングの中央で対峙している。収容人数8万人を誇るサッカースタジアムであるマリンフィールドスタジアムが満員となるほどの観客が集まる中で。
プロボクシングのリングなら受け入れられた。でも、このリングは地球とコスモスの大統領を始めとした両サイドの要人が観覧する御前試合であり、でもそれは建前で実質は地球とコスモスの威信をかけたボクシングの試合なのだ。政府の黒い思惑が入り混じったそんな汚い舞台でキララと闘うなんて耐えられない。
地球の方がコスモスより遥かに優れていることをホームである地球だけじゃなくスペースコロニーでも放送される大舞台の場で知らしめる。戦争で勝利した地球の方が今もコスモスよりも強い。そんなくだらない名目のためにキララを大観衆の前で倒さなきゃいけないなんて。
あたしに出来ることは早くキララを倒して試合を早く終わらせるだけだ。
キララと目を合わせることなく、赤コーナーに戻ると、
「言うまでもないがコスモスのボクシングのレベルは地球より低い。だからといって油断はするな。負けるわけにはいかない試合なんだ。1Rは様子を見ていけ。確実に勝つためにな」
エルマにそう指示を出されて頷いたけれど、でも試合開始のゴングが鳴ると、身体が前へ前へといくのが止まらなかった。
左のジャブから右のストレートのコンビネーションを積極的に打った。
早く試合を終らせたいその一心がユウを攻めに走らす。
右のストレートでどんな強敵もリングに沈めてきた。目で捉えられないほどのスピードでステルスと呼ばれている自慢の右ストレート。
キララには申し訳ないけれど、必殺のパンチで早く試合を終わらせる。
そう思い、何度も右のストレートを放った。
でも、目にしたのは想像すらしてなかった光景。
パンチが一発も当たらない。ガードどころかかすりすらしない。パンチを打つたびにキララは距離を取り、ユウのパンチの間合いから消えていった。右のパンチだけじゃなくて左のジャブさえもパンチを打つと後ろに下がり、距離が離れていく。それはまるでユウの思いを見透かしているかのようだった。
キララはファイティングポーズを取り、表情をまったく変えずに立っている。一方のユウはパンチの空振りが続き息を乱している。
その姿は赤コーナーと青コーナーの二人の立ち位置がまったく逆であるかのようであった。
これがあのキララなの?
ユウは息を切らしながら信じられない思いで目の前に立つかつての親友の姿を見る。
キララは以前のキララと違う。これまで闘ってきた地球のファイターたちよりも強くなっている。
でも、これならどう。
ユウは攻め手を変えた。横、斜めの動きを捨ててひたすら前進しながらパンチを打ち続ける。かわしながら後ろに下がっていくキララを待ち受けていたのはコーナーポスト。逃げる場所を失ったキララにユウが右のフックを放つ。
捉えた。
そう思ったパンチは何も捉えずに空転した。
対戦相手を見失ったユウはすぐに後ろを振り向く。
キララはコーナーポストから脱出していた。コーナーポストを背負ったのは自分。やばいと思ったユウは慌ててガードを上げる。
しかし、キララは攻めるどころか後ろへと下がっていく。そうしてリング中央で足を止めたキララに対して、ユウは向かって行った。
我を忘れていた。キララを出来るだけ傷つけずに勝つことを。コーナーポストに追い詰めた相手を目の前にして下がる行為。見下されたかのようなふるまいに闘争本能が反応した。
目の前の敵を倒さなきゃ。
その思いに満ち溢れていたユウの右のストレート。
グワシャァッ!!
爆弾が爆発したかのような凄まじい音がリングに響き渡った。
ついに当たったパンチはまるでとどめの一撃のように強烈な光景を生んだ。
血飛沫が舞い散り、マウスピースが宙へと飛んでいく。
激しいパンチの衝撃に瞳の輝きを失い、ぐにゃりと足が曲がるように後ろに崩れ落ちていく。
歓声に溢れていた場内が静まり返る。声を出せずに今にも悲鳴を上げたい表情でリングに目を向ける大勢の観客たち。
異様な空気に包まれた中、ユウは「速い…」とうめくように声を漏らし、身体を震わせた。
――――あたしのステルスよりも…
大の字になってマットに沈んでいるユウ。ファイティングポーズを崩さずに見下ろすキララの姿をぼんやりとした視界の中に映しながら、パンチのダメージに身悶える。
負けるはずがないと思っていたかつてのジムメートに1R早々に倒された…
得意の右のストレートの打ち合いで上をいかれた…
屈辱的な思いがいくつも錯綜するように頭の中でぐるぐると動き回る。
ダウンを告げるレフェリーの声を合図に静まり返っていた場内が一転してざわめいた。
第1Rですでにグロッギ―な姿をみせるユウに地球の住人が大半を占める観客たちは悲鳴を上げ、アナウンサーが叫んだ。
「ダウン!!第1R早々にダウンシーンが起こりました。ダウンしたのはユウ・アカシ。地球のファイターがダウンしたのはこれが初めてです!!」
「うん」と申し訳なさそうに答えるキララ。
「何でスペースコロニーなのっ…あっちの生活水準は地球より低いって有名じゃん」
そう言うと、キララは表情を曇らせて俯いてしまった。
あたしは思い出した。キララの家庭がけっして恵まれていないことを。キララの父親は地球歴史学の学者だけれど、数年前に大学の教授の座を追われて、それからは研究を続けながら小さな塾の講師のアルバイトでなんとか生計を立てていた。だから、キララはジムの月会費を一番安いコースにしている。一番安いコースは練習の場を自由に使えるだけでトレーナーの指導がつかない。でも、キララの強くなりたい思いを知ったあたしはトレーナーから教わったことを自分が彼女に教えていた。あたしが教えているからというのもあるけれど、彼女はけっしてボクシングは強くなかった。それでも、彼女は毎日のようにジムに通い真面目に練習を続けた。強い女性に憧れていた彼女はボクシングで世界チャンピオンになることを夢見ていた。
「ごめん…」
「そうじゃないのユウちゃん」
キララが慌てて否定する。
「えっ?」
「第3スペースコロニーの政府がお父さんの仕事を認めてくれて援助してくれるんだって。お父さんすごく喜んで…」
そう言って彼女は続けた。
「わたしは今の生活すごく好きだけど、だからいいの。お父さんがあんなに喜んだ顔見たの初めてだから」
「そっか…じゃあ笑顔でキララを送り出さないとね」
あたしは精一杯の笑顔を彼女にみせた。キララもぎこちない笑顔をみせてくれた。
「あっちでもボクシング続けるんでしょ」
「うん」
「目指すはあっちで世界チャンピオンだね」
「うん」
キララは頷いて、そして片方の目から涙が零れ落ちていった。
「ユウちゃんもお父さんの情報分かるといいね」
キララにはボクシングを始めた理由を教えていた。父のことまで話をしたのはジムの中で彼女だけだった。彼女だけがあたしの特別な存在で彼女にだけは本心を話したんだ。
そのキララとリングの中央で対峙している。収容人数8万人を誇るサッカースタジアムであるマリンフィールドスタジアムが満員となるほどの観客が集まる中で。
プロボクシングのリングなら受け入れられた。でも、このリングは地球とコスモスの大統領を始めとした両サイドの要人が観覧する御前試合であり、でもそれは建前で実質は地球とコスモスの威信をかけたボクシングの試合なのだ。政府の黒い思惑が入り混じったそんな汚い舞台でキララと闘うなんて耐えられない。
地球の方がコスモスより遥かに優れていることをホームである地球だけじゃなくスペースコロニーでも放送される大舞台の場で知らしめる。戦争で勝利した地球の方が今もコスモスよりも強い。そんなくだらない名目のためにキララを大観衆の前で倒さなきゃいけないなんて。
あたしに出来ることは早くキララを倒して試合を早く終わらせるだけだ。
キララと目を合わせることなく、赤コーナーに戻ると、
「言うまでもないがコスモスのボクシングのレベルは地球より低い。だからといって油断はするな。負けるわけにはいかない試合なんだ。1Rは様子を見ていけ。確実に勝つためにな」
エルマにそう指示を出されて頷いたけれど、でも試合開始のゴングが鳴ると、身体が前へ前へといくのが止まらなかった。
左のジャブから右のストレートのコンビネーションを積極的に打った。
早く試合を終らせたいその一心がユウを攻めに走らす。
右のストレートでどんな強敵もリングに沈めてきた。目で捉えられないほどのスピードでステルスと呼ばれている自慢の右ストレート。
キララには申し訳ないけれど、必殺のパンチで早く試合を終わらせる。
そう思い、何度も右のストレートを放った。
でも、目にしたのは想像すらしてなかった光景。
パンチが一発も当たらない。ガードどころかかすりすらしない。パンチを打つたびにキララは距離を取り、ユウのパンチの間合いから消えていった。右のパンチだけじゃなくて左のジャブさえもパンチを打つと後ろに下がり、距離が離れていく。それはまるでユウの思いを見透かしているかのようだった。
キララはファイティングポーズを取り、表情をまったく変えずに立っている。一方のユウはパンチの空振りが続き息を乱している。
その姿は赤コーナーと青コーナーの二人の立ち位置がまったく逆であるかのようであった。
これがあのキララなの?
ユウは息を切らしながら信じられない思いで目の前に立つかつての親友の姿を見る。
キララは以前のキララと違う。これまで闘ってきた地球のファイターたちよりも強くなっている。
でも、これならどう。
ユウは攻め手を変えた。横、斜めの動きを捨ててひたすら前進しながらパンチを打ち続ける。かわしながら後ろに下がっていくキララを待ち受けていたのはコーナーポスト。逃げる場所を失ったキララにユウが右のフックを放つ。
捉えた。
そう思ったパンチは何も捉えずに空転した。
対戦相手を見失ったユウはすぐに後ろを振り向く。
キララはコーナーポストから脱出していた。コーナーポストを背負ったのは自分。やばいと思ったユウは慌ててガードを上げる。
しかし、キララは攻めるどころか後ろへと下がっていく。そうしてリング中央で足を止めたキララに対して、ユウは向かって行った。
我を忘れていた。キララを出来るだけ傷つけずに勝つことを。コーナーポストに追い詰めた相手を目の前にして下がる行為。見下されたかのようなふるまいに闘争本能が反応した。
目の前の敵を倒さなきゃ。
その思いに満ち溢れていたユウの右のストレート。
グワシャァッ!!
爆弾が爆発したかのような凄まじい音がリングに響き渡った。
ついに当たったパンチはまるでとどめの一撃のように強烈な光景を生んだ。
血飛沫が舞い散り、マウスピースが宙へと飛んでいく。
激しいパンチの衝撃に瞳の輝きを失い、ぐにゃりと足が曲がるように後ろに崩れ落ちていく。
歓声に溢れていた場内が静まり返る。声を出せずに今にも悲鳴を上げたい表情でリングに目を向ける大勢の観客たち。
異様な空気に包まれた中、ユウは「速い…」とうめくように声を漏らし、身体を震わせた。
――――あたしのステルスよりも…
大の字になってマットに沈んでいるユウ。ファイティングポーズを崩さずに見下ろすキララの姿をぼんやりとした視界の中に映しながら、パンチのダメージに身悶える。
負けるはずがないと思っていたかつてのジムメートに1R早々に倒された…
得意の右のストレートの打ち合いで上をいかれた…
屈辱的な思いがいくつも錯綜するように頭の中でぐるぐると動き回る。
ダウンを告げるレフェリーの声を合図に静まり返っていた場内が一転してざわめいた。
第1Rですでにグロッギ―な姿をみせるユウに地球の住人が大半を占める観客たちは悲鳴を上げ、アナウンサーが叫んだ。
「ダウン!!第1R早々にダウンシーンが起こりました。ダウンしたのはユウ・アカシ。地球のファイターがダウンしたのはこれが初めてです!!」
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