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「会心の勝利おめでとうございます」
 女性のインタビュアーからマイクを顔の前に出され由香理は目を瞑り頭を下げた。ゆっくりと顔を上げて「ありがとうございます」と答えた。
「デビューの時からライバルと言われていた竹嶋選手との試合、完勝といっていい勝利に終わりましたが」
「いいえ実力は紙一重の勝負でした。作戦が上手くいっただけで、KO勝利出来たのは観客の声援が私を後押ししてくれたからにほかなりません」
 由香理がそう言うと観客席からは一層の大きな声援と拍手がリングに向かって送られた。それに対して由香理は右手を上げて応える。腰にはチャンピオンベルトが巻かれていて観客が新しい王者の誕生を祝福する。リングの上にただ一人残すことが許された由香理は栄光も観客の心も全てを手に入れたまさに勝者の姿に高野の目には映った。過酷な減量を乗り越えて得た栄光の瞬間だけに観るものを惹きつけるものがあると高野でさえも感じた。そして、それがこの場内の一体感に繋がっているのだと。
 高野は電光掲示板へと視線を移した。
 7R1分30秒KO勝利 〇氷室由香理 竹嶋みちる●
 リングの上にはただならない熱があった。しかし電光掲示板に表示された文字は無機質で見た途端に試合が遠い出来事のように感じられ、そして高野の心を虚しくさせた。
「みちる…」
 思わず声が漏れて高野は両腕で手にしている担架の上に視線を戻した。思わず漏れた言葉は聞こえていない。担架の上に乗せられているみちるは目が何も捉えておらず身体が痙攣を起こしたままだ。顔は頬の輪郭が倍近くに膨れ上がり直視できないほど醜悪に変わり果ててしまった。
 これがボクシングなのだと分かっていてもその残酷さを高野は受け止められずにいた。由香理の勝利を祝福することもみちるの敗北を受け入れることも出来ない残酷な結果に高野はこの時だけは大好きなボクシングを恨まずにはいられなかった。
 しかし、高野は自分自身にも非があると感じていた。セコンドとしての判断を間違えたからみちるが見るも無残な姿に変わり果ててしまった。みちるの想いに応えてやりたくて試合を止めたい気持ちを抑えてしまった。あの時試合を止めていたら…。
 

「みちる~!!」
 静寂なリングの上を高野の叫び声が虚しく響き渡った。リングの上でパンチが交錯しているみちると由香理。渾身のパンチとパンチをぶつけ合った二人は対照的な姿でパンチの攻防を終えていた。由香理が頬の皮一枚のギリギリの距離でパンチをかわしきりみちるの顔面に左ストレートを打ち込んでいる。ボクシングスタイルの美しさが頂点に達したかのようなカウンターブローを宿敵の顔面に打ち込んだ由香理の姿は崇高なまでに美しかった。そして、カウンターブローを打ち込まれ醜悪に歪んだ表情を晒すみちるの姿は由香理の美しさを引き立たせる存在にしか見えなかった。
「ぶへえぇぇっ!!」
 身体をぷるぷると震わせるみちるの口からマウスピースが吐き出された。それと同時に引きつったように大きく開けていたみちるの目が閉ざされ力を失ったようにファイティングポーズを取っていた左腕もだらりと落ちた。由香理が左の拳を引き、みちるが唾液を吐き散らしながらゆっくりと後ろに崩れ落ちていく。背中からキャンバスに倒れ派手な音が静まり返った場内で響き渡った。

「ダウン!竹嶋大の字にダウン!!氷室、ついにダウンを奪い返しました!!」

 静まり返った場内でアナウンサーが興奮したように大声で実況を再開するのを合図に場内がどっと沸いた。熱狂する場内の中でリングの中央で天を仰いだままでいるみちる。
 高野は終わったと思った。あんなに綺麗なカウンターをもらって立てるはずがない。
 しかし、みちるは立ち上がってきた。両膝が産まれたての小鹿のようにぷるぷると震えながらもカウント9で。かろうじて立ち上がってきただけで立っていることもままならない。普通なら試合を止める状況だったところに第3R終了のゴングが鳴り響き、レフェリーは試合を再開させた。奇跡的に試合は続行となったのだ。
 由香理のカウンターは見事な一撃だった。しかし、それでも立ち上がれたのだから、減量の影響で由香理のパンチ力が落ちているのかもしれない。そうとしか考えられなかった。作戦面で完敗といっていいこの試合、付け入るすきがあるとしたらやっぱり由香理の過度な減量にあるのかもしれない。でも、それを言ったらみちるは試合を続けたがる。これ以上試合を続けるのは無理だ。絶対にみちるに言ってはだめだ。
 でも、赤コーナーに戻ってきたみちるは棄権を受け入れなかった。首を横に振って「途中で棄権なんて絶対にイヤ」と頑なに拒んだ。何度ももう無理だと主張する高野の言葉にみちるはその度に「イヤ」と拒絶した。そうこうしているうちにインターバルの時間が終わりを迎える。
 高野は根負けして、心の中で抑えていた唯一といっていいみちるの勝機を伝えた。
「だったら由香理のスタミナが切れるまで耐える闘いが出来るか」
 由香理の唯一といっていい不安要素のスタミナ。そこを付け入るしかない。高野は試合が始まる前に提案した作戦をみちるに再び伝えた。
 みちるは首を縦に振って「分かった…」と頷いた。みちるはダメージで顔を下げたままでどんな思いでこの作戦を受け入れたのかは高野には分からなかった。嫌々なのかそれとも自分も納得してなのかそれとももう思考することさえままならない身体の状態なのか。どちらであれ、逆転勝利することを願って、高野は絶望的な状況からみちるを赤コーナーから送り出した。
 
「氷室の右のジャブがこのRも冴え渡ります!」
 試合は第7Rを迎えていた。由香理の右のジャブの銃弾のような連打を浴び続け、みちるは血の雨を顔から吹き散らしていた。
 高野が顔色を変えて叫び続ける。
「ガードだ!みちる!ガードを上げろ!!」
 高野の叫び声は届かずにみちるはガードが下がったままパンチングボールのように由香理のジャブを浴び続ける。
 ズドオォォッ!!
「ぶおぉぉっ!!」
 由香理の右拳がお腹にめり込み、みちるの身体がくの字になり悶絶した表情を晒す。由香理が距離を詰めラッシュをかけに出た。みちるはいいようにパンチを浴び続ける。
「竹嶋完全にサンドバッグだ~!!氷室の猛攻の前に棒立ちです。これはもう試合を止めた方がいいか~!!」

 作戦は悲しいくらいに由香理に通じなかった。第6R終了のゴングが鳴った時、高野は由香理の身体から尋常じゃない量の汗が噴き出ていて、深く荒い息を吐いていた姿を見逃さなかった。由香理がスタミナ切れを迎えたのだと高野は読み取った。そして、第4R以降も一方的にパンチを浴び続けインターバルで顎を垂らし苦しげに息を吐くだけとなったボロボロなみちるに「次のRが勝負だ」と何度も鼓舞した。みちるは返事を顔を下げたまま「うん」とだけ小さく答えた。
 しかし、勝負どころと決めた第7R、ゴングが鳴らされるとリングの上を支配したのはこのRも由香理だった。体力の限界を迎えたはずの由香理ばかりがパンチを出す。由香理のパンチの数は減るどころかさらに増していた。一方のみちるは挽回するどころかろくにパンチを出すことさえなかった。みちるもこれまでのダメージの積み重ねで限界を迎えていた。でも、体力が底をついているのはお互い様。ここが勝負どころなんだ。気持ちでなんとか乗りきって欲しかった。それなのにパンチを当てるどころかパンチすら出ないなんて…。
 尋常じゃない量の汗を流しながらそれでも由香理のパンチは止まらない。凄まじい勢いでみちるの顔面を滅多打ちする。
 限界の中で頑張れるかどうか。それは試合前の練習量がものを言うんだ。
 汗だくなりながらも攻め続ける由香理の姿を見て、高野は試合の前にみちるの練習を見て感じた思いが突如現れた。試合前に懸念していたことが今まさに悪夢のような展開となって実現されてしまったのだ。
 勝てるわけがない…。
 セコンドについていた高野さえもみちるの勝利を諦めた。いつものようにしていれば勝てると慢心していたみちるがぶっ倒れることも厭わないほどの練習を積んでこの試合に臨んだ由香理に敵うはずがない。
「高野君!!タオルだ!!タオルを早く!!」
 会長の言葉に高野がはっと我に返った。
 リングの上ではみちるの両腕がだらりと下がり、由香理の左右のフックで顔面を右に左に飛ばされていた。
 高野がタオルをリングに向かって投げた。もう試合の勝ち負けに関心なんてなかった。ただみちるが無事でいてくれさえいればよかった。タオルがひらひらと舞い落ちる。高野にはそれがスローモーションのように映った。レフェリー、早く試合を止めてくれ…。
 しかし、試合を止めたのはタオルではなかった。タオルが落ちるよりも先に非情な一撃がみちるの顎を抉った。
 グワシャアッ!!
 由香理の天にまで届くかのような勢いで伸びあがった右のアッパーカット。試合を終わらせたのはセコンドのタオルでもレフェリーでもない。聖女のように美しく拳を突き上げた由香理がみちるの顎を砕き、キャンバスに沈ませた。
 うつ伏せに倒れ両腕がだらりと下がっているみちるの顔面とキャンバスの間から血が広がっていく。身体はぴくぴくと痙攣するだけで顔面がキャンバスに埋まり表情が隠れたみちるからダメージを読み取ることは出来なかったが、キャンバスに広がっていく尋常じゃない血の量がダメージの深さを物語っていた。
 レフェリーがカウントを取らずに両腕を交差する。
 カーンカーンカーン!!
「試合終了です!!氷室由香理が勝ちました!!ライバルの竹嶋に圧勝です!!すごいチャンピオンが誕生しました!!」

To be continued…
小説・ときめき10カウント~あの時の約束 | コメント(2)
コメント
最高
長い待つ事でしたが本当に満足そうな結末です! 誠実な者に勝利を!傲慢になった者に屈辱を!!
No title
>Jkllmさん
ありがとうございます(^^)試合の最後をどうやって描こうか悩みに悩んで時間がかかってしまいました。満足してもらったみたいで時間をかけて書いたかいがあってうれしいです(^^)

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