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 練習を終えてバンテージをほどいていると、高野が駆け寄ってきた。
「みちる、もう練習終わりか?」
「うん、そうだよ」
「なぁ、もう少し練習をした方が良いんじゃねぇか」
 みちるはむっとして、腕を組んだ。顔を背けて、
「いつもと同じ練習してるじゃない。あたし、別に練習怠ってないよ」
「そうだけどさ、今回はタイトルマッチだろ。いつもより練習した方が良いんじゃねぇかって」
「高野の言いたいことも分かるけど、あたしはこのトレーニングで勝ってきてるわけだし、それにオーバーワークになっちゃって体調崩すのも嫌だし、大丈夫だよ。タイトルマッチだからっていつもの自分を変える必要はないってあたしは思う」
 みちるは腕を組んだまま、ちらっと高野の顔を見た。真面目な顔をしていて、ただ単に小言を言いたいわけじゃないことは伝わってくる。でも、みちるも自分のやり方には手応えを感じていて、譲る気にはなれなかった。
「みちる~、ボクシング雑誌の人が取材に来てるぞ~」
 会長である父が遠くから声をかけてきて、みちるは返事をした。
「あっパパ今行くから~」
「ごめん、そういうことだから高野、心配してくれてありがとう」
みちるはそう言って雑誌編集者の元へ向かった。
「おい、まだっ」
 と高野は声を大きめにして言ったものの、みちるが振り返ることはなかった。

 空はすっかり暗くなってしまったというのに、高野は外の道を走っていた。ロードワークでもしないと、胸の中に溜まっているもやもやが取れそうになかった。
 日本王座決定戦だっていうのにみちるから必ずチャンピオンになってみせるという気概が感じられない。みちるはいつも通りの練習をしていたら勝てるというけれど、タイトルマッチでそれだけじゃ駄目なんだと高野は思っていた。実力以上に問われるのがチャンピオンになりたいという思い。それは大一番だからこそ、その人の試合への思いがいつも以上に力を後押ししてくれる。現に高野は日本王座に挑戦した試合で、互角に打ち合い続け最後は絶対に勝つんだという思いでなんとか打ち勝つことが出来た。その思いは練習じゃないと築かれない。練習で苦しい思いをした分、試合で苦しい時でも頑張れる。タイトルマッチで相手が互角の力を持っていたらあとは気持ちなのだ。大きな試合ほど気持ちが大切になっていく。
でも、今のみちるには言っても無駄かもしれない。出来すぎと言っていいほどの結果を残してきているし、それにメディアがみちるを取り上げすぎている。女子高生のうちにプロデビューして、しかも元日本チャンピオンのボクサーの娘なのだ。メディアがほっとくわけがなくて、二世ボクサーとしてテレビで紹介されることがたびたびあった。そして、今回は日本王座決定戦ということで、ドキュメンタリー番組でこの試合が取り上げられることになっている。もちろん、みちるが主役の視点でだ。
 いくら走っても胸のもやもやが取れずにいると、前からサウナスーツを着た女性がこちらに走ってきていた。夏だっていうのにフードで頭が覆われて、長袖で両腕両足も肌が隠れている。もしかしたら、この人も減量中のボクサーなのかもしれないなと思いながら横ぎると、崩れ落ちる音が聞えた。
 振り返ると、サウナスーツの女性が横に倒れていた。高野は慌てて駆け寄り、背中を支えて上体を起こして声をかける。
 フードを外すと意外な顔を目にして、高野は目を大きく見開いた。
 倒れていたのは由香理だった。
「由香理じゃないか」
 由香理が虚ろな目をこちらに向け、彼女も意外な顔をした。
「琢磨…」
 由香理は小さな声で言って、顔を反らした。
「恥ずかしいところを見せたわね」
「何言ってるんだよ。それより、身体どこかおかしいんじゃないのか」
 高野はそう言ってから、由香理が体調を崩している理由に気付けた。痩せ細った頬、かさかさになった肌。由香理は相当無理な減量をしている。
「由香理、お前無茶な減量をしてるだろ」
「琢磨が私の心配をしてくれるなんてね」
 由香理が辛そうな顔に笑みを浮かべる。
「心配するに決まってるだろ。お前何キロの減量してんだよ」
「いくら琢磨でも言えないわ。大切な情報ですもの」
「そりゃそうだけど」
 高野は由香理の全身を見つめた。元々身長はある方だったけれど、プロになったこの三年間でさらに身長が伸びているようにみえた。少なくとも3センチ以上伸びている。167センチ以上あるかもしれない。だとしたら、バンタム級くらいが適正な階級で二階級下の階級で闘っていることになる。
「なんでフライ級で闘ってるんだよ。お前の身体だったらバンタム級だろ」
 由香理は目を瞑り黙っていた。それから、ふふっと顔に笑みを浮かべた。
「負けたままではいられないわ」
「みちるのことか」
「えぇっ…あんな悔しい思いをしたのは生まれて初めてだったわ。みちるに負けたままじゃ気持ちの整理がつかない。私は前に進めないの」
「それで、お前プロボクサーになったのか…」
 由香理は首を横に振る。
「それはまた別よ。みちるがプロボクサーになったと聞いて、初めはどうしようか迷ったわ。でも、みちるに勝ちたくて練習をしているうちに気付いたの。私もボクシングがとても好きになっていたことに」
 と由香理は言ってうっすらと口元を緩ませる。
「だから、みちるに勝つこと以上にボクシングのチャンピオンになることが私の大きな目標。でも、私の身体がフライ級でいられるのは今だけ。来年にはもう階級を上げざるを得ないわ。だからどうしてもこの試合だけは絶対に勝ちたいのよ」
「そうだったのか…」
 あとに続く言葉が見つからなかった。ボクシングジムの娘であの我儘お嬢様だった由香理がみちるとの試合にそこまでの思いを抱いていたなんて思ってもいなかった。
「私、おかしなことを言っているかしら?」
「いや、そうじゃなくて――――」
 琢磨は申し訳ない気持ちで頬を搔いた。由香理のことをずっと誤解していて自分が恥ずかしい。
「自惚れたことを言うけど、由香理は俺に振り向いてもらいたいからボクシングをしているんだと思ってた。まさか、そこまでボクシングに真摯に向き合っているとは思ってなかったから」
「そうね、恥ずかしいけれど、初めは琢磨の言う通りだったわ」
 由香理はふぅっと息を漏らす。
「今はボクシングで結果を残したい気持でいっぱいだから、琢磨のことを考えてる余裕なんてないわ。でも、いつかボクシングで結果を残せた時にはまた琢磨に気持ちを向けることになるかもしれないわね」
 なんだか、告白されたみたいな気持ちになって、琢磨は顔が熱くなるのを感じた。
「そうか…俺なんてそこまでして思う価値なんてねぇと思うけど…」
「琢磨がボクシングに向き合っている琢磨であるかぎり、私の気持ちは変わらないわ」
「そっか…でも俺は竹嶋会長を尊敬しているから、由香理のジムに戻ることはないと思う」
「それはもういいのよ。昔の話よ」
「悪い。俺の我儘でジムを出て」
「だからいいのよ。くだらない話をしちゃったわね」
 由香理が琢磨の胸を右手で押して、立ち上がった。
「大丈夫なのか」
「えぇ…もう大丈夫。あとは歩いていくから。それじゃあ琢磨」
 由香理が左腕を上げて、背を向けて行ってしまった。琢磨はまだ由香理の身体が心配で彼女の背中を見続けた。
 由香理があんなに真剣にボクシングに向き合っているなんて思いもしなかった。そして、結果を出すまで恋心を抑えようとしている。自分と似た思いでボクシングしていることに気付いて、琢磨は複雑な思いになった。由香理とのタイトルマッチでみちるが勝ったら、俺はみちるに告白の返事をすると約束をした。でも、俺はその時、みちるに想いを告げる気持ちでいられるだろうか。六年間変わらずにいたみちるへの想いが分からなくなってきていることに高野は気付いた。
 
小説・ときめき10カウント~あの時の約束 | コメント(2)
コメント
感想
こんばんは、虎紙です。

まさか「ときめき10カウント」がくるとは!

ちなみに私、勝負のために髪を切った由香理お嬢様
に、ときめいた派です。わはは。今の御髪はやはり
長くなっているのでしょうか。減量が力石徹を
連想させてちょっと心配ですが、決着が楽しみです!
No title
>虎紙さん
ありがとうございます(^^)僕も由香理が勝負のために髪を切った話の流れはとても好きです。ああいう女性を感じさせるシーンって大事だよなぁって思います。髪型をどうしようか悩みますけど、原作の試合の時みたいにショートの方がストイックな感じがして今回の話に合いそうなのでショートをイメージしてます。長い髪で原作みたいに試合時はツインテールにすると今作のイメージと合わない気がするしポニーテールにするともし絵を描いた時に誰ってなりそうで(笑)

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