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「どうしたのお父さん?」
 会長室に入った遥花は伏し目がちに、机に座っている父の祥三の顔を見て言った。練習を終えたばかりでまだ身体に疲労が残っている。祥三と目を合わせて話す気力はなかった。
「三つのジムから試合のオファーがきている」
 祥三のその言葉を聞いて、ようやく遥花は顔を上げた。
「誰なの?」
  大事な話だ。三度目の防衛戦。対戦相手次第でベルトを守るのに費やすエネルギーはだいぶ変わってくる。もちろん、弱い相手であるのにこしたことはない。
「ランキング2位の田宮良子、5位の西薗エリカ、7位の後藤ユリだ」
 遥花の表情が固まった。落ち着こうと目を瞑り息を出す。頭の中がすうっとしてきて、考えを巡らした。長く考えるまでもなかった。その面子の中で実績、実力ともに後藤ユリが一番劣る。遥花は目を開けた。
「後藤ユリにするんでしょ」
「そうしたいんだけどな・・・」
  祥三は肘をつき両手を組み合わせて煮え切らない言い方をする。
「今回は西薗エリカにする」
 遥花の目に力が入る。
「何でなの」
 遥花は声を荒げた。
「言いたかない話だが、ファイトマネーが他と五倍違う」
  遥花の顔から表情が消えた。再び伏し目がちに床を見る。
「悪いな、遥花。この試合受けてくれるな」
 遥花は祥三に顔を合わせないまま「分かった」と小さな声で返事してすぐに部屋を出た。
  練習室に戻る最中、色んな感情が遥花の心の中で沸き起こっていた。
 あの三人の中で一番対戦したくない相手が西薗エリカだった。
 エリカとは高校時代にインターハイで三度試合をしたことがある。勝敗は二勝一敗。決勝で何度となく拳を交え、高校時代のライバルといってよい存在だった。ただ、連勝して終えたことで遥花の中で彼女とのライバル関係は完結していた。エリカに一度だけ負けたのもまだ自分がボクシングを始めて間もなかったからだと思っている。だから、彼女の実力を気にしているわけではない。嫌なのは彼女の周りに対してだった。エリカは名門の家柄の娘だった。都内で有数の地主である彼女の祖父は趣味が興じてボクシングジムを経営していて、エリカはそのジムに所属している。西薗ジムは男子の世界チャンピオンを三人要している大手のジムだ。金があるから良い選手、トレーナーが集められている。ボクシング関係者の間ではそう揶揄されることが少なくない。でも、遥花が西薗ジムに良い感情を抱いていない理由は別にあった。大手のジムだったためにユキトが潰された。早すぎた世界戦を組まれたユキトはその試合で完敗しただけですまず、目に致命的なダメージを負ってしまい引退を余儀なくされた。もし話題作りのために七戦目で世界タイトルマッチに挑戦していなかったらまだユキトは現役でボクサーをしていたかもしれない。そう思うとどうしても西薗ジムを責めたくなってしまう。でも、それだけならまだ試合を避けたいと思うまでにはならなかった。
 一番の要因は、引退したユキトが今はエリカのトレーナーについていることだった。ユキトが対戦相手のセコンドにつくのだと思うだけで気持ちが重たくなる。
  遥花は唇を強く閉じた。目も閉じて左手を胸に当てる。暫くそうしてから目を開けると、ジャージの上を脱いでボクシンググローブを手にした。手にはめ終えてサンドバッグの前に立つ。もう一度汗を流さないと胸の中のもやもやした感情はとれそうになかった。
小説・リングに消えゆく焔(ほのお) | コメント(0)
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