2ntブログ

スポンサーサイト

--/--/-- -- --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告
「会心の勝利おめでとうございます」
 女性のインタビュアーからマイクを顔の前に出され由香理は目を瞑り頭を下げた。ゆっくりと顔を上げて「ありがとうございます」と答えた。
「デビューの時からライバルと言われていた竹嶋選手との試合、完勝といっていい勝利に終わりましたが」
「いいえ実力は紙一重の勝負でした。作戦が上手くいっただけで、KO勝利出来たのは観客の声援が私を後押ししてくれたからにほかなりません」
 由香理がそう言うと観客席からは一層の大きな声援と拍手がリングに向かって送られた。それに対して由香理は右手を上げて応える。腰にはチャンピオンベルトが巻かれていて観客が新しい王者の誕生を祝福する。リングの上にただ一人残すことが許された由香理は栄光も観客の心も全てを手に入れたまさに勝者の姿に高野の目には映った。過酷な減量を乗り越えて得た栄光の瞬間だけに観るものを惹きつけるものがあると高野でさえも感じた。そして、それがこの場内の一体感に繋がっているのだと。
 高野は電光掲示板へと視線を移した。
 7R1分30秒KO勝利 〇氷室由香理 竹嶋みちる●
 リングの上にはただならない熱があった。しかし電光掲示板に表示された文字は無機質で見た途端に試合が遠い出来事のように感じられ、そして高野の心を虚しくさせた。
「みちる…」
 思わず声が漏れて高野は両腕で手にしている担架の上に視線を戻した。思わず漏れた言葉は聞こえていない。担架の上に乗せられているみちるは目が何も捉えておらず身体が痙攣を起こしたままだ。顔は頬の輪郭が倍近くに膨れ上がり直視できないほど醜悪に変わり果ててしまった。
 これがボクシングなのだと分かっていてもその残酷さを高野は受け止められずにいた。由香理の勝利を祝福することもみちるの敗北を受け入れることも出来ない残酷な結果に高野はこの時だけは大好きなボクシングを恨まずにはいられなかった。
 しかし、高野は自分自身にも非があると感じていた。セコンドとしての判断を間違えたからみちるが見るも無残な姿に変わり果ててしまった。みちるの想いに応えてやりたくて試合を止めたい気持ちを抑えてしまった。あの時試合を止めていたら…。
 

「みちる~!!」
 静寂なリングの上を高野の叫び声が虚しく響き渡った。リングの上でパンチが交錯しているみちると由香理。渾身のパンチとパンチをぶつけ合った二人は対照的な姿でパンチの攻防を終えていた。由香理が頬の皮一枚のギリギリの距離でパンチをかわしきりみちるの顔面に左ストレートを打ち込んでいる。ボクシングスタイルの美しさが頂点に達したかのようなカウンターブローを宿敵の顔面に打ち込んだ由香理の姿は崇高なまでに美しかった。そして、カウンターブローを打ち込まれ醜悪に歪んだ表情を晒すみちるの姿は由香理の美しさを引き立たせる存在にしか見えなかった。
「ぶへえぇぇっ!!」
 身体をぷるぷると震わせるみちるの口からマウスピースが吐き出された。それと同時に引きつったように大きく開けていたみちるの目が閉ざされ力を失ったようにファイティングポーズを取っていた左腕もだらりと落ちた。由香理が左の拳を引き、みちるが唾液を吐き散らしながらゆっくりと後ろに崩れ落ちていく。背中からキャンバスに倒れ派手な音が静まり返った場内で響き渡った。

「ダウン!竹嶋大の字にダウン!!氷室、ついにダウンを奪い返しました!!」

 静まり返った場内でアナウンサーが興奮したように大声で実況を再開するのを合図に場内がどっと沸いた。熱狂する場内の中でリングの中央で天を仰いだままでいるみちる。
 高野は終わったと思った。あんなに綺麗なカウンターをもらって立てるはずがない。
 しかし、みちるは立ち上がってきた。両膝が産まれたての小鹿のようにぷるぷると震えながらもカウント9で。かろうじて立ち上がってきただけで立っていることもままならない。普通なら試合を止める状況だったところに第3R終了のゴングが鳴り響き、レフェリーは試合を再開させた。奇跡的に試合は続行となったのだ。
 由香理のカウンターは見事な一撃だった。しかし、それでも立ち上がれたのだから、減量の影響で由香理のパンチ力が落ちているのかもしれない。そうとしか考えられなかった。作戦面で完敗といっていいこの試合、付け入るすきがあるとしたらやっぱり由香理の過度な減量にあるのかもしれない。でも、それを言ったらみちるは試合を続けたがる。これ以上試合を続けるのは無理だ。絶対にみちるに言ってはだめだ。
 でも、赤コーナーに戻ってきたみちるは棄権を受け入れなかった。首を横に振って「途中で棄権なんて絶対にイヤ」と頑なに拒んだ。何度ももう無理だと主張する高野の言葉にみちるはその度に「イヤ」と拒絶した。そうこうしているうちにインターバルの時間が終わりを迎える。
 高野は根負けして、心の中で抑えていた唯一といっていいみちるの勝機を伝えた。
「だったら由香理のスタミナが切れるまで耐える闘いが出来るか」
 由香理の唯一といっていい不安要素のスタミナ。そこを付け入るしかない。高野は試合が始まる前に提案した作戦をみちるに再び伝えた。
 みちるは首を縦に振って「分かった…」と頷いた。みちるはダメージで顔を下げたままでどんな思いでこの作戦を受け入れたのかは高野には分からなかった。嫌々なのかそれとも自分も納得してなのかそれとももう思考することさえままならない身体の状態なのか。どちらであれ、逆転勝利することを願って、高野は絶望的な状況からみちるを赤コーナーから送り出した。
 
「氷室の右のジャブがこのRも冴え渡ります!」
 試合は第7Rを迎えていた。由香理の右のジャブの銃弾のような連打を浴び続け、みちるは血の雨を顔から吹き散らしていた。
 高野が顔色を変えて叫び続ける。
「ガードだ!みちる!ガードを上げろ!!」
 高野の叫び声は届かずにみちるはガードが下がったままパンチングボールのように由香理のジャブを浴び続ける。
 ズドオォォッ!!
「ぶおぉぉっ!!」
 由香理の右拳がお腹にめり込み、みちるの身体がくの字になり悶絶した表情を晒す。由香理が距離を詰めラッシュをかけに出た。みちるはいいようにパンチを浴び続ける。
「竹嶋完全にサンドバッグだ~!!氷室の猛攻の前に棒立ちです。これはもう試合を止めた方がいいか~!!」

 作戦は悲しいくらいに由香理に通じなかった。第6R終了のゴングが鳴った時、高野は由香理の身体から尋常じゃない量の汗が噴き出ていて、深く荒い息を吐いていた姿を見逃さなかった。由香理がスタミナ切れを迎えたのだと高野は読み取った。そして、第4R以降も一方的にパンチを浴び続けインターバルで顎を垂らし苦しげに息を吐くだけとなったボロボロなみちるに「次のRが勝負だ」と何度も鼓舞した。みちるは返事を顔を下げたまま「うん」とだけ小さく答えた。
 しかし、勝負どころと決めた第7R、ゴングが鳴らされるとリングの上を支配したのはこのRも由香理だった。体力の限界を迎えたはずの由香理ばかりがパンチを出す。由香理のパンチの数は減るどころかさらに増していた。一方のみちるは挽回するどころかろくにパンチを出すことさえなかった。みちるもこれまでのダメージの積み重ねで限界を迎えていた。でも、体力が底をついているのはお互い様。ここが勝負どころなんだ。気持ちでなんとか乗りきって欲しかった。それなのにパンチを当てるどころかパンチすら出ないなんて…。
 尋常じゃない量の汗を流しながらそれでも由香理のパンチは止まらない。凄まじい勢いでみちるの顔面を滅多打ちする。
 限界の中で頑張れるかどうか。それは試合前の練習量がものを言うんだ。
 汗だくなりながらも攻め続ける由香理の姿を見て、高野は試合の前にみちるの練習を見て感じた思いが突如現れた。試合前に懸念していたことが今まさに悪夢のような展開となって実現されてしまったのだ。
 勝てるわけがない…。
 セコンドについていた高野さえもみちるの勝利を諦めた。いつものようにしていれば勝てると慢心していたみちるがぶっ倒れることも厭わないほどの練習を積んでこの試合に臨んだ由香理に敵うはずがない。
「高野君!!タオルだ!!タオルを早く!!」
 会長の言葉に高野がはっと我に返った。
 リングの上ではみちるの両腕がだらりと下がり、由香理の左右のフックで顔面を右に左に飛ばされていた。
 高野がタオルをリングに向かって投げた。もう試合の勝ち負けに関心なんてなかった。ただみちるが無事でいてくれさえいればよかった。タオルがひらひらと舞い落ちる。高野にはそれがスローモーションのように映った。レフェリー、早く試合を止めてくれ…。
 しかし、試合を止めたのはタオルではなかった。タオルが落ちるよりも先に非情な一撃がみちるの顎を抉った。
 グワシャアッ!!
 由香理の天にまで届くかのような勢いで伸びあがった右のアッパーカット。試合を終わらせたのはセコンドのタオルでもレフェリーでもない。聖女のように美しく拳を突き上げた由香理がみちるの顎を砕き、キャンバスに沈ませた。
 うつ伏せに倒れ両腕がだらりと下がっているみちるの顔面とキャンバスの間から血が広がっていく。身体はぴくぴくと痙攣するだけで顔面がキャンバスに埋まり表情が隠れたみちるからダメージを読み取ることは出来なかったが、キャンバスに広がっていく尋常じゃない血の量がダメージの深さを物語っていた。
 レフェリーがカウントを取らずに両腕を交差する。
 カーンカーンカーン!!
「試合終了です!!氷室由香理が勝ちました!!ライバルの竹嶋に圧勝です!!すごいチャンピオンが誕生しました!!」

To be continued…
小説・ときめき10カウント~あの時の約束 | コメント(2)

今日の更新

2017/10/08 Sun 02:28

こんばんわ~へいぞです。

小説の方がしばらく止まっていたので気分転換で新しい作品を書いてみました。(^^)
最後らへんの展開は今年放送された某アニメからもろに影響受けてます。あぁそういう展開もあるのかと思って自分もついそんな話を書いてしまいました。一応、続きもので、最終的には女子対女子の話になります。タイトルとヒロインの名前はもしかしたら変更するかもしれません。
未分類 | コメント(0)

「Love and fight」第1話

2017/10/08 Sun 02:24

“湯沢くんのこと大好きだったのにぃ~”
“トオコ、あんなやつのことなんて早く忘れちゃいなよ。男なんて他にたくさんいるんだからさ”
“そうそう。それにしても湯沢のやつ、女がいるなら早く言えってんだよね。思わせぶりな態度取ってさぁ”
“ホント、あれじゃ誤解するに決まってるよねぇ”

 一人の娘の席を囲んで慰め合う女子生徒だけのトーク。目の前の席で行われているそれはあたしにとって遠い世界。もう長いこと関わらなくなっていたクラスの女子の連帯。だから油断した。その世界はちょっとしたことで入り込んでしまう。あたしも女なのだから。

「咲坂さんもそう思わない」
「えっ…ああ…うん…まぁ、男の見極めって大事だよね」
 放課後を迎え帰り支度をしていたら、話をふられてきた。トイレなんかに行かずに早く帰っとくんだったと後悔する。硬い笑顔を浮かべながらとっさに答えて、そして前を見る。
 一瞬にして壊れたキャンキャンとした空気。あたしに向けられるしらけた目。

 あぁ・・・またやってしまったんだ…。


 ブラジャーを外して代わりにスポーツブラを付けているその時に記憶はフラッシュバックしてきた。更衣室で服を脱いでいると自分が女であることを意識しなくても実感する。だから教室での嫌な出来事を思い出してしまったのかもしれない。ボクシングジムに着いてこれで気分転換出来ると思ったのに練習を始める前からこけてしまった。
 元ボクサーでありボクシングジムの会長を務める父親の娘として産まれて、自然と自分もボクシングをするようになった。男ばかりの世界が目の前に当たり前のようにあってそんな日常を過ごしていたら気付いたら普通の女の子とだいぶ違っていた。女の子同士で話をしている時も自分の思いをストレートに伝えてしまう。それで何度クラスメートの女子から距離を置かれたことか。そういう体験を繰り返しているうちにいつしかクラスの女子のグループに入ることを止めてしまった。
 でも辛いと思ったことは一度もない。クラスに一人は自分と似た娘がいるものだ。無理して仲良くする必要なんてなくて自分と波長が合う娘と仲良くしてればいい。今はクラスに美結という気兼ねなく話せる友達がいて、ボクシングという打ち込むものもある。日常は十分に充実しているのだ。
 でも別にクラスの女子のグループに入って仲良くしたいとは思わないけど、話すのを避けてる自分はなんか嫌だ。今日だって机の中の荷物を早くまとめてそそくさと帰ろうとしてしまった。そもそもああいうシチュエーションが苦手なのだ。彼女たちはふられた娘に同情しながらも恋愛話を楽しんでいるようだったけど、あたしは複数の娘で恋愛話をする気にはなれない。いやそれ以前に男子と付き合いたいという気すらないのだ。あたしって女としておかしいのかな…。
 こんなこと流石に美結にも相談出来ないしましてジムの男共なんてもってのほかだ。誰かあたしの気持ちが分かってくれる人が一人でもいたら…。
 シューズの紐を結び終えたみさおはバンテージを手にして更衣室を出た。ドアノブにかけられていた「乙女着替え中。絶対開けるな」の札を外して中に置く。さあ気持ちを切り替えなきゃ。自分の気持ちを分かって欲しいとか弱い気持ちを持ってボクシングの練習は出来ない。
“分かって欲しい”
 あぁ・・あそこで求められていたのは共感だったんだ…。
 今になってようやくあの時何を言えば良かったのか分かった。でも分かっていてもあたしには出来そうにないな。自分の気持ちを偽ってまでうんうん頷くなんて。
 練習室に入るとトレーナーの白川さんしかいなかった。まだ夕方四時過ぎの時間帯だと誰も練習してなくても別に珍しくはない。同じ高校生の丸山君が練習しているかどうかだ。
 プロボクサーが自分を含めて四人しかいない小さなボクシングジムなんてこんなものだ。その三人の男たちも六回戦と四回戦のボクサーで女子の日本チャンピオンであるあたしが一番の出世頭。自分が頑張って早く世界チャンピオンになってジムを盛り立てていかなければと思っている。父はジムの経営が経営が…と常日頃こぼしてるし、一二年でジムの運営がやっていけなくなるとは思わないけどこのままだとそのうち閉鎖も考えなければならない時がきてしまう。つまり、あたしがジムを背負っているのだ。だからまだ高校生といっても一試合一試合にかけている。けっして負けるわけにはいかない。
 でも、女子のあたしがどんなに頑張ってもジムの名を広げるには限界がある。やっぱり男がチャンピオンになってくれないと練習生の数はなかなか増えてくれない。だから最近は父の頼みもあって男の練習にも付き合うことにしている。三人のプロである男たちはもう七戦以上しているから伸びしろはあまりないと思うけど、プロ志望の丸山君は高校生と若いから可能性があると思っている。才能の方は突出した何かがあるってわけじゃないけど線は悪くないからまだ若いんだし磨けばぐんぐん伸びていってくれるはずだ。でも、そういえばその丸山君を今週になってみかけない。
「ねぇ、丸山君、最近見ないけど、白川さん知ってる?」
 道具の片づけをしていた白川さんがこちらを見る。その表情はどうもぱっとしない。もっともいつも眉が下がっていて冴えない表情をしているけど。
「…辞めちゃいました」
「はあ~!?」
 思わず甲高い声が出てしまった。
「だって今度プロテスト受けるんだったんでしょ」
 そう言って白川さんの方へと距離を詰めた。
「みさおさんがスパーするからですよ。みさおさん一方的に攻めるから」
「だって合格してもらわないと困るじゃない。うちのジムじゃあたしが一番強いんだからあたしが相手しなきゃ強くならないでしょ」
「そうなんですけど、やっぱり女性にボコボコにされたらまぁ…気落ちするのも…」
「そんな根性無しじゃプロになったってやっていけないでしょ」
「そうなんですけどそれでも辞められたらうちも苦しいですから、そこはみさおさんが上手くスパーの相手を…」
「あれ以上どう手加減しろっていうの。パンチだって半分くらいしか力出してないんだよ」
「だからまぁ…そこは加減の仕方を覚えるか、スパーの相手するのを…」
 白川さんが上目遣でこちらをちらりと見る。
「控えるか」
 カチンときた。
「もういい。せっかくこっちの時間割いて相手してるのに文句言われたらたまったもんじゃないもん。あたしは他の男の人の面倒見るのいっさい辞めるから」
「そんな…困りますよ、六回戦の光山の相手はみさおさんじゃないと務まらないですから」
「しらない。あたし手加減下手だし」
「そんなこと言わないでくださいよ」
 その時、ジムの入り口の扉が開いた。中に一人の少年が入ってくる。その少年はブレザーの制服を着ていてぼさぼさの髪型をしている。見たかぎりは高校生。目つきが悪い顔をしていていかにもボクシングジムの門を叩いてくる男の子といった感じだ。
「咲坂会長います?」
 ぼさぼさ頭の少年がぶっきらぼうに言った。
「今出てるけど何か用ですか?」
 扉の近くにいたから自分が答えた。
「入門したから練習に来たんだけど」
「ふ~ん、そうなんだ。プロ目指すの?それとも運動目的?」
 みさおは少年に近づきながら聞いた。身長は170センチくらい。胸元を見るかぎりしっかりとしていてけっこう鍛えているようにみえる。
「まぁ、プロだけど」
 少年は変わらずに愛想無く答える。みさおはふと閃いた。その閃きを試してみるのも良いかもしれない。
「じゃあリングに上がりなよ。あたしがテストしてあげる」
「はぁ?テスト?」
 少年が目を丸くした。
「つか、あんた女だろ。俺とって冗談だろ」
「本気よ。いいからあがんなさいよ。ここで話してたってお互いの実力は分からないでしょ」
「とんだじゃじゃ馬だな。おりゃぁ女を殴るためにボクシングしてるんじゃねぇんだよ」
「なにがじゃじゃ馬よ。あんた人相も悪いけど口も悪いわね」
「あんたに言われたかねぇや」
「なんですって」
「ちょっとみさおさん、まずいですよ。入門希望者を勝手にテストしちゃ」
 白川さんが取り乱した表情で話しかける。
「彼、プロ志望なんでしょ。いいじゃない、いずれあたしとスパーリングすることになるんだから。せっかくいろいろ教えて途中で辞められるくらいなら今相手の根性試した方が良いでしょ」
「怪我させちゃまずいですし」
「彼、さっきの言葉だとボクシング経験してるみたいだし大丈夫よ。ねぇ君、ボクシング経験あるんでしょ?」
「あぁ」
 少年は面倒臭そうに返す。
「ほら」
 白川さんにそう言ってまた少年にみさおは顔を向けた。
「じゃああたしに一発でもパンチ当てられたら合格よ」
「一発ね…。へいへい分かりました。やりゃぁいいんだろ」
 少年は不貞腐れ気味に言って更衣室の場所を聞いて向かって行った。
 Tシャツにジャージのズボンの姿で戻ってくると一足先にリングに上がって待っているみさおに
「あんた、ヘッドギアは?」
 と聞いてきた。
「気にしないで。あたし日本チャンピオンだから。プロでもない相手ならパンチなんて受けないから」
 みさおがそう答えると少年はむすっとしたまま見続ける。
「なによ、女のくせにとか思ってんの」
 少年は頭を掻いて、
「ホント面倒くせぇな」
 と言って首を捻る。
「わかったよ。じゃあ俺も付けなくていいよな」
「付けてって言っても付けなさそうね。良いわよ、手加減して打ってあげるから」
「そうかい。まさか女からそんなこと言われる日が来るとはね」
「女、女ってうるさいわね。女だからって油断してると痛い目見るわよ」
「強い女なら知ってるよ」
 少年は顔を横に反らしながら言った。
「ふ~ん…誰の事言ってるの?」
「いいからとっとと始めようぜ」
 少年はそう言ってリングに上がった。みさおから投げ渡された赤いボクシンググローブを両腕にはめる。
「君、名前は?」
「タケル」
 それまで相手に言葉をぶつけるように話していた少年が急にぼそっと答えた。
「苗字は?」
「胡桃沢…」
 さらにぼそっとした声で答えたのでみさおは思わず笑った。
「可愛いらしい名前なのね」
「うるせぇ」
「じゃあ胡桃沢君」
「タケルでいいよ。周りはみんなそう呼んでる」
「タケル君、テストは1Rね」
「いいよ」
「準備はオッケイ?」
「あぁ…いつでもいいよ」
「白川さん、ゴングお願い」 
 白川はしぶい顔のままゴングを鳴らした。
 みさおが軽快なステップで赤コーナーを出ていく。一方のタケルはベタ足でじりじりと青コーナーを出た。
 インファイター?それともインファイター、アウトボクサーのスタイルにも達してないレベル?
「タケル君、ボクシングはどれくらい?」
「三年だよ」
「そう、じゃあ結構楽しめそうね」
 ファイトスタイルはインファイターかな。あたしもインファイターだけど流石にインファイトが得意の男と同じ土俵で勝負するわけにはいかない。
 みさおは中間距離から左のジャブを放った。タケルはヘッドスリップでパンチをかわす。ガードならともかく避けるなんてやるじゃない。
 でも、これならどう。みさおは左のジャブを連続して放った。その数五発。手加減はいっさいなしで打った。しかし、タケルはそのすべてをヘッドスリップでかわしきる。
 嘘…?あたしのジャブが一発も当たらないなんて…。
 呆然としたところにタケルがダッシュして中に入ってきた。
 しまった…。
 タケルの左のボディブローがみさおのお腹にヒットする。ずしりとした衝撃が走りみさおの身体がくの字になる。とっさに後ろに退いた。
 たった一発のパンチなのにマウスピースが吐き出そうになった。
うちのジムの男たちとは威力が全然違う。こんなパンチ1Rも受けきれない…。
「なぁ…」
 タケルの呼びかけにみさおが乱れた呼吸がばれないように意識して口を閉じながら相手の顔を見つめる。
「一発当てたけど、これで合格だろ。まだ続けるのか」
「当たり前よ。まだ始まったばかりなのに判断なんて出来るわけないでしょ」
 みさおは取り乱した口調で返した。余裕を持った相手の態度についかっとなってしまった。
「俺はべつにいいけどさ…あんた、身体もたねぇんじゃねえの?」
「うるさいわね。いいから続けるわよ」
 感情を抑えられないまま言い放った。
「そうかい」
 試合の続行を受け入れたのにタケルは自分からは攻めてこない。肩を小刻みに揺らしてリズムを取っているけれど中間距離を保ったままだ。その距離はインファイターの距離じゃない。パンチを誘ってる?それともやる気がないだけ?
 相手の気持ちが全然読めなかった。ひょっとしてあたし動揺してる?
 みさおは慌てて首を振った。
 まだ一発のパンチを受けただけじゃない。勝負はこれからなんだから。左のパンチだけじゃダメ。右のパンチも混ぜないと。
 みさおは左のジャブを二発続けて放つ。二発ともタケルにスリッピングでかわされた。みさおは左足で一歩踏み込んで右のフックを放った。そのパンチはタケルにガードされた。これも当たらないなんて。だったら左のフック。
 みさおの左の拳に衝撃が伝わる。タケルの首が飛んだ。思わずよしっと心の中で叫んでいた。しかし、それも束の間だった。みさおのお腹を凄まじい衝撃が貫いた。タケルの左のボディブロー。
 みさおの口が膨れ上がる。涎がぬめりついたマウスピースが口元からはみ出た。悶絶したように目が上を向き、身体がぷるぷると震える。
 がくっと膝が折れ曲がる。
 しかし、みさおはこらえて左のフックをタケルの顔面に当てた。意地で返した一発。これでダメージが効いてないならダメかも…。パンチを振りきったままでいるみさおは心の中で願った。
 しかし、みさおの思いは願望で終わった。
 ズドオォッ!!
 タケルの左拳がみさおのお腹を下から突き上げた。
 ボディアッパーにみさおの身体がくの字に折れ曲がり、両足がつま先立ちになった。
「ぶはあぁぁっ!!」
 みさおがマウスピースを吐き出した。みさおの身体が沈み落ちていく。タケルの腰に両腕を回して抱きついてダウンをかろうじて免れた。
 「はぁはぁ…」
 荒い息を吐きながらみさおは乱れきった頭の中で想いを巡らした。
 たった三発のボディブローで足にくるなんて…。三発のボディブロー…。受けたパンチは全部ボディブロー。しかも左。もしかしてあたしが女だからって顔を避けてるの?しかも利き腕じゃない腕でパンチを打ってる?手加減されてるのはあたしの方じゃない…。
 完敗だ。この男一体何者なの?日本チャンピオンのあたしが手も足も出ないなんて…。
 みさおはタケルが自分が勝てる相手じゃないことを悟ったもののそれでも1R闘い抜こうと決めた。
 あたしにもチャンピオンの意地があるんだ。
「おい大丈夫か?」
 密着距離からのタケルの問いかけに
「だっ、大丈夫に決まってるじゃない!」
 ダメージを悟られないようにみさおは強い口調で返した。でも、もうダメージを隠しようがないほどに息は乱れている。
 同情でされてるようで悔しさを覚えながらもみさおはこのクリンチの状況に意識を集中させた。
 押される前に先に押さなきゃ…。
 みさおは両腕に力を入れようとしたものの足が言うことを利かなかった。膝が折れて前のめりになり結果的にタケルの身体を押した。
「おっ…ちょっちょっと」
 タケルが体勢を崩して慌てて言葉を発する。どたどたと押されたタケルの背中がロープに当たる。その反動で押し出す力が今度はみさおに返ってきた。みさおにその力に耐える力など残っているはずがなかった。
 二人の身体が密着したままみさおの身体が背中から倒れ落ちた。
 キャンバスから激しい音が生じた。
 後頭部を強く打って鈍ったみさおの意識が少しずつ戻っていく。みさおは強い違和感を覚えた。それは口元から――――。
 生暖かい感触…。
 みさおははっと目を開けた。みさおの目が大きく開いたまま硬直した。目の前はタケルの顔で覆われている。そして、みさおの唇はタケルの唇と触れあっていた。
 みさおの身体にのしかかっていたタケルが慌てて後ろに仰け反るようにして離れていった。
「わざとじゃねぇ、わざとじゃねぇんだ!」
 動揺して話すタケルの声にみさおは反応せずグローブで唇に触れた。
 あいつの唇があたしの唇に触れた…。
 ようやくことの状況を理解して、タケルの弁明が耳に入ってきた。
「なぁ、分かるだろ。今のは事故だって」
「うるさい…」
「あっ…?」
 みさおが右のグローブを外してタケルの顔面に投げつけた。グローブが当たりタケルの顎が上がる。
「あたしに話しかけないで!!」
 みさおはそう言って、リングから下りて駆け足で練習場を出て行った。
「おい待てよ!!誤解だって!!」
 みさおは更衣室に入り扉をしめた。その場にしゃがみ込む。
 心臓がどくんどくん動いている。頬が上気したようにほてっている。立ち上がり、壁に付いている鏡を見た。自分の顔は真っ赤になっている。視線が自然と唇にいった。
 みさおは右手で唇に触れた。
 あんなのとしかもリングの上でキスするなんて…。
 みさおは何度も首を横に振った。今あったことを忘れようとしたのに、唇の感触だけはなかなか消えなかった。
小説・Love and fight | コメント(2)
« Prev | HOME |